さて、この世界の地の深みには、そこを埋め尽くすようにうごめいている悪霊たちの雄たけびが、「ほぉう…ほぉう」と響き続けておりました。その響きは、一つでも多くの魂を、悪霊たちの頭である悪魔の‘かまど’にささげることを望んで、今日もやむことがありません。悪霊たちは地面から目玉を出して、地上を歩く人間たちの足元をすくってやるために、策略を練っておりました。
そんな悪霊の一人であるデミオンは、顔の半分が溶けたような恐ろしい形相をしており、痩せこけた手や足は異常に長く、爪は大きなかぎ爪をしておりました。人がその姿を見たならば、決してデミオンについてゆこうとは思わないことでしょう。しかしそんなことは大した問題ではありません。デミオンは、どんな美しい姿にも、はたまたもっと醜い姿にだって姿を変えることができるのですから。
愛なる神様は、ご自分に似せて、愛する息子、娘として人間をおつくりになったといわれます。その息子、娘はアダム、そしてイブと名付けられ、神様とそれはむつまじく、麗しい暮らしをしていたといわれます。その楽園において、悪霊の頭である悪魔が、蛇に姿を変えてアダムとイブを誘いました。神様との絆を切って、神様から身を隠して生きることを勧めたのだというのです。神様は「あなたはどこにいるのか」と切なる叫びでアダムとイブを呼びました。しかし、神様から身を隠したアダムとイブは、楽園を追われ、自分たちの力で生き始めたというのです…。
それからの人間の歴史は、おどろおどろしいものでした。世界には「楽園」では考えられなかった、殺人や姦淫、盗みや暴虐にあふれました…。人の心はねたみや高ぶりに支配されやすくなり、人生には、悲しみと痛みと死への恐怖が与えられました。孤独に震える夜を知らない人は、もはやいないかもしれません。
神様は、そんな人間のひとりひとりを、それは痛ましく見つめては、「あなたはどこにいるのか?」そう語りかけながら、ご自身のもとに戻ってくることを、眠らずに待ち続けていたのです。そう、今日この夜だって…目をはらして私たち人間の世界を見つめて、振りはらわれようと振りほどかれようと、手を差し伸べ続けておられるのです。
今は現代。都会の真ん中にそびえたつ、灰色の廃墟のような病院に、その少年と少女はおりました。デミオンは瞳をぎょろめかせて、見えない長い手で少年と少女の足首をつかんでいました。少年少女はともに17歳。さだめの糸に導かれ、同じ病院で長らく暮らしておりました。
ちょうど、月がまるく満ちた明るい夜に、少年は病室に閉じ込められておりました。自分や他人を傷つける恐れがあったため、看護師さんたちは、少年の部屋に鍵をかけていたのです。少年は、病棟に響くほどの大きな声で叫びながら、壁やドアを蹴っていました。ドアには小さな窓がはめ込まれており、そこから少年の部屋をのぞいていた少女がおりました。
青白く瘦せた体を震わせて、母親を求める子どものように泣いている少年を、少女はそれはあわれんで「お願い、出してあげて」と叫びました。看護師さんたちは、少女があまりに大きな声で叫ぶので、少女を取り囲み、部屋へと引きずり込むと強い薬を打ちました。少女はもうろうとして、そのまま眠ってしまいました。働きすぎの看護師さんたちはやれやれと額の汗をぬぐいながら、少女の部屋にも重たい鍵を掛けました。
まるい月はまるで神様のまなざしのように、病棟を照らしておりました。淡い月光が窓からにじんで、疲れすぎたひとりひとりを包むようでありました。
ある午後に、鍵の開けられた部屋から疲れ果てた顔で少女は出てきました。食堂のソファに座り込むと、となりに中年の女が座り、冷たい水を差し出しました。少女はそれを受け取って、一口飲みました。女はほほ笑んで、少女の肩を抱きました。少女はほだされるようにして、女の肩にほほを寄せて泣きました。女は「大丈夫…すべて見ておられる神様がきっとおられるんだからね…」そう言いました。
その日の午後、少年も鍵の降ろされた部屋から出て、たばこを盗みに喫煙所に向かいました。少女は喫煙所の窓越しに少年を見つめて、窓に手を当てました。少年も、少女の手のある所に自分の手のひらを重ねました。見つめあう2人の間に、甘く悲しい空気が満ちてゆくようでした。
デミオンは、壁の中、換気口の中からささやきを響かせました。「そのように絆を結べ。お前たちの足を一本の鎖でくくろうじゃないか。そしてともどもに‘あのお方’にささげようぞ」。その声は、まるで笑っているようでした。デミオンにとって人間がもがきながらも必死に生きようとするさまは、面白くて仕方がないものでした。光と闇のはざまで、光にあこがれながら、闇の甘い誘惑にも心惹かれる、どっちつかずの人間の姿が滑稽で仕方なかったのです。人の姿は時に、悪霊よりもずっと、ずる賢くも見えました。
週に2回、患者たちが自分たちで洗濯をする日が設けられておりました。少年と少女は、女と3人で、洗濯物を持って屋上の洗濯場へ階段を上ってゆきました。それぞれ洗濯機に洗濯物を入れ、ボタンを押します。この時、唯一患者たちは大きな空を見ることができるのです。少女は両手を広げてくるりとまわり、街を一望できる景色に見とれました。ふと、空から白い羽が落ちてきました。少女は地に寝そべった羽を手に取りました。「真っ白な羽よ。まるで天使様の羽みたいよ」。「天使様の羽だなんて素敵ね。大事に取っておかなくちゃ」。女はほほ笑みました。
それを見つめていたのは、やさしい目をしたダニエルでした。ダニエルは3人の足首が、デミオンの鎖でしっかりとくくられていることに目をとめて、つらそうにつぶやきました。(神は遣わされる…光の絹の風を。神は光の粒をきらめかせ、その先にご自身がおられることを教えられる。罪の中に沈み、骨まで燃やされる罪の末路を悲しみ、神は空に虹をかけられる。空に霧のきらめきをあらわし、そのきらめきの先に、ご自身がいることを教えておられるのだ。どうか、あなたがたがデミオンの鎖から逃れることができるように)と。
ダニエルは見つめていました。少年と少女と女がほぼ同時期に退院の日を迎え、それぞれの家に帰ってゆくのを。少女は居心地の悪い家の2階部屋で、携帯電話のボタンを押して少年に電話をかけていました。少年も自分の家の自室で、受話器に耳を当てて何やら神妙にうなずきました。「こんな家は出て、ふたりで生きてゆこう」そんな相談をしていたのです。少女はメモ帳に書かれた住所を見つめていました。そこには病棟で出会った女の住所が書かれておりました。「あの人は、きっと私たちを助けてくれると思うの」
それから3日後の激しい雨の真夜中に、少年は少女の家の前にたたずんで、少女が出てくるのを待っていました。少女はお家にあったありったけのお金とお気に入りの荷物を大きなバッグに詰め込んで、音を立てないように気遣いながらドアを出てきました。
少女は少年の差し出した傘に入ると、少年の腕を握りしめぎゅっと額を押し当てました。街灯が雨粒をきらめかせ、街は銀色の粒子が舞っているようでした。路面も水銀色に輝いて、まるでこれからの素敵な毎日を予感させるようでした。
少女はこんなふうに真夜中に異性と歩く「自由」に心が躍り、履いていた靴を脱ぎました。靴を放り投げると、パシャパシャと音を立てながら真夜中の街路を走り出しました。少女が跳ねると水滴も煌めいて跳ねました。夜の街には人影はなく、どこまでも続く街灯が夜の街を彩っておりました。まるで誰一人いなくなったこの世界を支配したような気分です。水浸しの前髪を耳にかけると、まるで自分が退廃的な小説の主人公になったような気がします。どこにも居場所はないけれど、だからこそどこにだって行けるんだ。そんな思いが胸に満ちあふれるのです。
「そう、どこに行ったっていい。そして何をしたっていい。お前たちは『自由』なのだ」。デミオンは本来とっても小さなからだを大空いっぱいに広げて2人を祝福しました。「さあ、したいことのすべてをしてみるがいい。それが人生というものだ」。デミオンの歌の響く大空は、まるで明けない夜のような深みで2人を包むようでした。2人の心臓はどくどくと音を立てました。
その晩、少年と少女は雨どいのあるバス停のベンチで額をぴたりとくっつけ合って、眠りました。翌朝、商店街のファーストフードで朝食を済ませると、女の家を探しました。飲みかけのコーラを片手に持って、もう一方の手はしっかりと握りあっておりました。2人にもはや怖いものなどない気がします。2人一緒ならば、悪霊たちの待ち受ける暗がりだって恐れません。
17歳という若さであっても、2人は孤独のつらさを知っていました。家族だっておりますし、学校に行けばなじみの人たちがおりましょう、それでも2人はずっとこの世でたった一人であるような寂しさに、狂おしいほどに悶えてきました。そんな2人にとって、お互いの存在はこの世に初めて現れた‘同じ人類’のように思えました。デミオンは2人のきずなを喜びました。‘信じられるものは他にはない’そう思う2人を喜んだのです。またダニエルも2人のきずなを見つめては、つらい道のりの先で与えられたわずかな慰めを悲しい目をして祝福しました。
「ねえ見て」。少女が大きな声を出しました。少年も顔を上げると、商店街の先に開けた広い空に、七色の虹がかかっていたのです。はしゃいで駆け出す少女と一緒に少年も走り出しました。神様が2人をあわれんで、虹をかけてくださったかのようでした。
神様やみ使いたちが2人に手を差し伸べようとする力にも負けじと、デミオンの執念は恐ろしいものでした。デミオンは己を憎む思いを、神を憎む思いに、そして人を憎む思いに変えていました。悪霊たちは悪魔に生み出されたものたちです。しかし、神様がデミオンの生まれることをおゆるしにならなければ、デミオンは生まれることはなかったでしょう。神様は、デミオンが生まれることをおゆるしになりました。そして、デミオンがデミオンになる、命の形づくられるもっと前からデミオンの選択は始まっており、さだめは決められておりました。さだめとは、私たちの選択により決められてゆくものです。すべての息あるもののさだめは、この世界が造られたときに、神様の目には見通されておりました。
デミオンは神様に相対する、己の末路をよく知っておりました。それはいずれ、神様の裁きによって永久に燃える炎で燃やされ続けるという末路でした。しかし、炎で燃えていることには今だって変わりはなかったのです。デミオンはねたみや憎しみ、殺意といった罪の炎で今もごうごうと燃えているのです。心の炎は実際の炎に負けないくらい、いいえそれ以上に痛み、苦しいものでありました。その苦しみは自らが生んだものでしたが、それをデミオンは神様のせいにしていました。ですから、神様に愛された人間たちを、一人でも多く罪の罠にとらえ、自分と同じように神に憎まれるものへと変貌させてゆくことが、デミオンの喜びであり、痛みをごまかせる麻薬のような快楽でした。その快楽はすさまじいものであったのです。「こんな快楽のためならば、たとえ永久に燃やされ続ける末路であろうと、かまわない。何を引き換えにしても、代えがたい」それほどの快楽であったのです。
「だから俺は優しいんだ。とっても痛くて苦しくて、しかしそれをごまかすには余りある快楽的な人生に人を導いてやるんだからなあ」。そう言って今日もへそをかいておりました。(来週へつづく)
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。