田舎町の薄暗い路地裏に、赤と黄色の電飾が輝いておりました。ネオン管は「今宵も貴方をお待ちしております」と行書体で輝いております。小さなレンガ造りのこのスナックは、もう50歳を過ぎたヨウコが一人で切り盛りしておりました。
ヨウコは肉づきがよく、ボブヘアーの巻き髪からのぞく顔立ちもわりと整っておりました。品のよいツンとした鼻に、厚い唇は艶めいており、つぶらな瞳は鳩のようで、人を疑うことを知らないようなかわいげを感じさせるのです。
長いタバコとシャンソンが好きで、酔いが回ったときなどは、お店のカラオケで歌うこともありました。
若い時には結婚もしたことはありましたが、今までの付き合いのたいていがそうであったように、長くは続きませんでした。気が付けば、心は傷ばかりで、一人中年といわれる年頃になっていたのです。
ヨウコはまだお客さんの入らない、薄暗い店内で、一人でシャンソンを聞いていました。シャンソンは哀切に、ヨウコの心の痛みに寄り添ってくれるようでした。
今日も夜が深みを増すほどに、店内はまばらな客でにぎわって、お酒の酔いも相まってそれなりに楽しく過ごします。着飾ってお店に立つことは、嫌いではありません。それでもそんな日々の積み重ねは、ヨウコに痛みと悲しみを増し加えるだけのように思えるのです。
昼間の買い出しは嫌いです。毎日午後を回った頃に、重たい体を引きずって今日のお酒の肴を買いに行くのですが、真昼の光は容赦なく、本当のヨウコの姿を暴き出すように思うのでした。公園では、同じ年頃の女性たちが孫をあやしており、スーパーでは主婦たちが家庭の夕食の買い出しに精を出しています。ヨウコは自分を、垂れた頬の肉のほか、何にも持たない女のように情けなく思うのです。
店に戻り、薄暗がりにランプをともしてシャンソンを流すと、そんな情けなさも消えてゆきます。店内のソファに座って、化粧を顔に塗りこめます。シャンソンの調べが、ヨウコを優しく着飾らせ、そして包んでくれるのです。
ヨウコは、「神様」とつぶやくと、胸の深くから銀のネックレスを引き出しました。ネックレスの先の、美しい銀細工の十字架を握りしめると、愛おしそうに「イエス様」とつぶやき、十字架に頬ずりをしました。ヨウコはほとんど聖書を読んだことはありませんでした。読んでみても、難しくてよく分からないことばかりだったのです。それでも、今までに見た映画のワンシーンや本の中で、イエス様という方が罪に汚れた女性たちにとても優しい方であったことを知っていました。(そんな方はイエス様のほかいないでしょう。)ヨウコはそう思って、十字架のネックレスを宝物にしていたのです。
世間の誰もにばかにされようと、世界の誰にきらわれようと、イエス様だけはヨウコを愛してくださる気がしました。ですから、会ったことも見たこともない方でありながら、ヨウコはイエス様を愛していました。
いつか教会で、イエス様のお話を聞いてみたい…そう夢見ていても、なかなか教会にはゆけませんでした。そこには身なりも生き方も美しい人たちばかりがいて、どんなに化粧や匂いで自分の生きてきた道を隠してみても、ばれてしまうに違いない。そう思って怖かったのです。
昨晩のアルコールがまだ頭に残っており、くらくらと頭痛がします。毎夜明るくなるまでお酒をばかみたいに飲み続けるのは、この齢には決して楽なこととは言えません。毎月のやりくりに余裕があるわけでもなく、お店を閉じて生きてゆくことが頭をかすめることもありました。しかし思えば20歳の頃から似たような仕事しかしたことのなかったため、もうこれ以外に生きてゆく道はないように思っていました。
栄養ドリンクを冷蔵庫から取り出すと、一気に飲んで気合を入れます。表の看板の明かりを入れるとヨウコの夜は始まります。
ぽつりぽつりとなじみの客が訪れて、お酒に酔うと歌が始まります。昔の想い人や今は亡き母を思いながら、客たちは今夜も歌います。すると、荒々しくドアが開きました。見たことのない、若い面々ががやがやと入ってきて、「安く飲ませて」とソファに座りだしました。ヨウコは氷とグラスを運びながら嫌な予感がしていました。若者たちは、常連客たちが歌う歌にヤジを飛ばし始め、気を悪くした常連客は、早々と帰り支度を始めました。気が付いたら、若者たち以外は店に残っていませんでした。
「何にも面白くない店だな」。若者たちはつまらなそうに言いながら、ぐいぐいお酒を飲み干して、常連客が残していったお酒のボトルまで飲み干しました。ソファに足を乗せてタンバリンを叩いて、不思議な踊りを踊ってはしゃぎ、「おばさんも踊ってよ」とヨウコに向かって言いました。「そうだ、踊れ」「踊れよ」
ヨウコはなんだか怖くなり、背中にひんやりとした汗をかきました。そしてふざけたように盆踊りを少しだけ踊って見せました。すると若者はヨウコのブラウスをめくりました。たるんだお腹があらわになり、いっせいに笑いが起こりました。「腹踊りだ!」「いいぞ!」
ヨウコは愛想笑いを振りまいて、笑われながらも踊り続けたのです。だって…とても怖かったのですから。
夜もしらみ始めた頃、店内に一人残されたヨウコは、カウンターに突っ伏しておいおいと泣いておりました。あんな若者たちに小ばかにされて、あまりに情けなかったのです。そして、一人として自分を守ってくれる人のいないことがとても悲しかったのです。
今日の悲しみには、シャンソンさえもお手上げでした。ヨウコは化粧が剥がれるのも構わずに、おいおいと泣きました。
しばらくすると、店のドアが音を立てて開きました。ヨウコはずぶ濡れの顔を上げ「もう、おしまいですよ」と言いました。すると、美しい女のような髪を持った、美しい男のような顔立ちの、背の高い人が「水を一杯頂けますか」と透き通った声で言ったのです。その声は不思議な響きでした。この世のどんな音楽の中にもないような透明な調べであったのです。ヨウコは惹かれるように立ち上がると、「お座りください」と言って席を立ちました。
その人はヨウコに導かれるままに、カウンターに座り、出された水に口を付けました。ヨウコはカウンターの内側からその人を不思議そうに見つめていました。
「おつらいのですね、ご婦人の方」。その人はうつむいたままそう言って、コップの水面をじっと見つめておりました。ヨウコはその優しい響きに心がほどけて、一筋涙を流しました。そしてつい、話していたのです。
「私ね、ハーブティーのお店でもやってみたいな…ハーブなんて知らないけれど、なんだか女性らしいじゃない。雑穀米かなにかのさ、おしゃれなランチでも出して、手作りの雑貨も売るの。手芸なんてやったことないけどね、ほんとはやってみたかったんだ。そうしてね、教会に行くの。教会で、聖書を読んで、賛美歌を歌うの」
その人は、うなずいてヨウコの話を聞きました。そして、「神様を愛しておられるのですね」とほほ笑みました。ヨウコはうれしくなって、胸元の十字架を引っ張り出して見せました。そして、「そう、私の神様」と銀細工の十字架を見せたのです。
美しい人は、まるで兄のように優しくヨウコを見つめて、そして静かに言ったのです。
「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように」(雅歌2:7)
ヨウコは「どういう意味?」と聞きました。美しい人は答えました。
「あなたの神への愛が、おのずと起き上がり、あなたは神をたずねずにはいられなくなる時が来るでしょう。その時まで焦ることもないし、むやみに慌てることもありません。ただその時はやってくるのですから」
ヨウコは首をかしげて聞きました。「あなた、詳しいのね。ひょっとして教会に行ってるの?」白み始めた空から店の小窓に、光が差し込み始めました。その人はその光とまったく同じ成分で、輝き始めたのです。ヨウコは口元を押さえ、「神様」と口をつきました。するとその人は大きな手でヨウコの口もとを制して、「私を拝してはいけません、私は一介の従者にすぎないのですから」と言いました。そしてその姿は、あめ色の光となって輝きながら像を結び、美しいみ使いの姿が光の中に浮かび上がってゆきました。み使いはヨウコを見つめてうなずくと、「…あなたのかなえられない夢はありません。あなたの熱い愛を神様はお喜びなのですから」と言いました。
み使いは、糸が解けるように淡い残像になってゆきます。ヨウコはこのみ使いにもう会えなくなる気がして、「行かないで」とついすがりました。み使いはじっとヨウコを見つめるとほほ笑んで首を振りました。
「十字架の愛を受けなさい。そのさきであなたは白百合のように神様の愛をうたうでしょう。その歌に私たちは耳を澄ませています」
そう言って、小窓から差し込む光の中に溶けるように、消えていったのです。ヨウコは光の差し込み始めた店内に、へなへなと座り込みました。
ダニエルは朝の桃色の光とひとつになって、大空よりヨウコを見下ろし、そして地平線まで続く家々や背の高いビル群を見渡しました。
朝のさわやかな息吹をつくるように、ダニエルはつぶやきました。
「白百合が世界中で花開いてゆくのが私には見えるようです。それは麗しく愛の雫に潤い、か細い声で、しかし強く愛をうたうことでしょう。神への愛を、神の愛を。その歌を、私は聴きたいのです。暗闇の世界に響く、白百合たちの歌よ。その歌は強くこの世界を照らす唯一の明かりなのですから。白百合たちよ、あなたの歌がこの世界には必要なのです」
ヨウコは胸元の十字架を握りしめて、言いました。
「神様、感謝します。あなたは私を哀れに思って、天使さまを下してくださいました。今までに過ちしか犯してこなかったので、もう道は残されていないと思っていました。でも今私には道が見えるようなんです」
陶然としてあたりを見渡すと、光の差し込み始めた店内のどこかしこにも神様の愛とまなざしが行き渡っていることを感じるのです。
神様は本当にすべてを見ていた。ヨウコのすべてを知っていた。そのことがあまりにうれしくて、込み上げる思いは涙に変わってゆきました。神様の歌が光の中に響いているのが聞こえるようでした。
(エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。
わが愛する者の声が聞える。見よ、彼は山をとび、丘をおどり越えて来る。わが愛する者はかもしかのごとく、若い雄じかのようです。見よ、彼はわたしたちの壁のうしろに立ち、窓からのぞき、格子からうかがっている。
わが愛する者はわたしに語って言う、「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」)(雅歌2:7~)
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。