5月25日、米中西部ミネソタ州ミネアポリスにおいて、アフリカ系米国人(以下、あえて「黒人」と記す)のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に取り押さえられ、しかも8分以上にわたって首を圧迫され続けたことで死亡した。フロイドさんは当時、銃やナイフなどの武器をまったく所持していなかった。
その後この警官は、同僚3人と共に懲戒免職となったが、それだけで事態は収まらなかった。拘束時の動画がSNSで出回り、メディアも大々的にこのニュースを取り上げたことで、米国各地で黒人たちの暴動が発生したのである。
29日、ミネアポリスがある同州ヘネピン郡のマイク・フリーマン検事は事件を重く見て、この白人警官を第3級殺人罪で起訴した(後にさらに重い第2級殺人罪に変更)。だが遺族たちは、彼と共にその同僚も含め第1級殺人罪での追訴を希望しているという。
ミネアポリスで発生した黒人たちの暴動は、やがて白人たちも加わり(決して結託しているわけではない)、全米各地へ飛び火していった。ジョージア州やワシントン州など8州では、州兵が投入されることが正式に決定された。31日には、全米40以上の都市で夜間外出禁止令が出され、これはマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された1968年以来、約50年ぶりの規模だという。
ドナルド・トランプ大統領はついに、暴動鎮圧に連邦軍を送るため、「反乱法」を発動させる構えを見せた。各州知事が州兵投入を躊躇(ちゅうちょ)するなら、連邦軍が出て行くぞ、とばかりにプレッシャーをかけ始めたともいえるだろう。デモは英国、カナダ、ドイツにも飛び火し、コロナ禍にある人々の鬱屈(うっくつ)とした感情を一気に爆発させつつ、もはや単なる「暴行事件」の粋を越える事態となっている。
夜間外出禁止令が出された都市に住む米国の友人たちに連絡を取ったところ、かなりリアルな回答が寄せられた。南部アリゾナ州に住む黒人一家は、「子どもたちのために防御グッズを買いそろえた」とか、「しばらくは外出を控えようと思う」「大型スーパーマーケットには怖くて行けない」と語っていた。黒人がむやみに出歩くと、それを見つけた白人たちに襲われるというのである。答えてくれた黒人女性は「米国中にヘイトが充満している。何とかしたいけど、どうしたらいいのか分からない。ただ祈るのみ」とのことだった。
他の地域も同じようなもので、唯一の例外がテキサス州の白人牧師で「コロナだから屋外で、皆で礼拝したよ。それだけ!」と陽気な回答だった。送られてきた映像には、白人たちが思い思いに集まって礼拝をささげる様子が映っていた。しかし、黒人やヒスパニックが多いテキサス州なのに、彼らの姿は妙に少なかった。
さて、今回の暴動はきっかけからその後の展開に至るまで、米国で今まで繰り返されてきたパターンを少しもブレることなく踏襲しているといえる。違いは各々の「きっかけ」であって、その後の展開は時代こそ違え、ほとんど同じである。つまり米国にまん延する歴史的・文化的宿痾(しゅくあ、長く治らない病気)が改善されていないということであろう。
ご存じのように、米国建国当時、「黒人」とはアフリカから連れて来られた奴隷たちによって構成されていた。やがて1864年にエイブラハム・リンカーン大統領によって「奴隷解放宣言」が出され、彼らは自由を手にすることとなった。だが彼らが手にできたのは、奴隷の身分からの解放という自由のみであった。つまり奴隷ではなくなったものの、「単なる労働力」として使い捨てのような扱いを受けるか、南部地方で制定された「ジム・クロウ法」により人種的に隔離されながら、劣悪な環境で生活するしかなかったのである。
第1次世界戦後、多少の蓄えを持てるようになった黒人たちは、南部を出て北部や西部の都市部を目指した。しかし第2次世界大戦後、彼ら以上に裕福になった白人たちは、都市部から少し離れた郊外に住宅を建て始め、黒人たちから離れて生活するようになっていったのである。当然、経済的な流れも郊外へ移っていく。取り残された黒人たちは、皮肉なことに同じ人種同士で生活できるようになったが、それは経済格差と貧困のさらに深い闇に飲み込まれていくことを意味していた。やがて都市部に「黒人貧困地区」など呼ばれる地区が生まれてくるのである。
だが白人たちは、都市部の掌握圏までも手放すことはしなかった。具体的には、警官や判事、弁護士などは白人がほぼ独占していたのである。すると都市部でひしめき合って暮らしている黒人たちを、郊外で余裕を持って暮らしている白人警官たちが管理することになる。例えば、1967年当時のデトロイトは、都市部に住む95パーセントの黒人たちを、わずか5パーセントの白人たちが実質支配するという構図であったという。そしてデトロイトの警官は99パーセント以上が白人であった。
1950年代、実質的には「奴隷状態」に据え置かれていた黒人たちは、マーティン・ルーサー・キング牧師主導の下、公民権運動を展開し、60年代半ばに地位向上をある程度は成し遂げることができた。しかし、地位と財産を手にした富裕黒人層はごくわずかで、黒人内の貧困格差は公民権運動によってむしろ拡大してしまったともいわれている。
やがて「ゲットー」と化した黒人貧困地区では、麻薬、殺人、レイプなどの犯罪が頻発するようになっていく。白人警官の暴力、それに対する仕返しや貧困故の黒人間の犯罪が増加していくのは想像に難くないだろう。
白人警官たちにとっては、いつ銃を隠し持った犯罪者に殺されるか分からない。そして確実に黒人たちが犯罪に手を染める率が高い。そうなると、彼らは自衛のために黒人たちを警戒し、高圧的な態度で接するようになっていく。そうしなければ自分の命が危ない。そう考えるのは、決して「極悪人」だからではなく、市井の人々の基本的な防衛本能のなせる業なのかもしれない。
これは単なる「人種問題」として片付けられない問題である。社会的な構造、歴史的な経緯、そしてコロナ禍での抑圧された日常・・・。これらが一気に噴出したといえよう。
それくらい人々は疲弊し、神経をとがらせ、そして痛んでいる。私が安否を気遣うとともに今の状況を尋ねた米国の友人たちは、それぞれの日常生活を送っていたが、一つの点においては一致していた。それは「米国のために祈ってほしい」ということである。
ある人は「憎しみが憎しみを生むというなら、もっと大きな愛を示せば愛が生まれるだろう」と語ってくれた。「そんな大きな愛はどこから?」 そう問うとき、キリスト者ならきっとこう答えるだろう「神から」と。
だから私たちも共に米国のために祈ろう。
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