来日3日目の25日、ローマ教皇フランシスコは、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)で行われた「青年との集い」に参加した。大聖堂には約900人が集まり、教皇は若者3人の代表者によるスピーチの後、講話を語った。
青年を代表してスピーチしたのは、発展途上国支援団体職員の小林未希さん、中学校教員の工藤雅子さん、フィリピン出身のカチュエラ・レオナルドさんの3人。小林さんは「カトリック青年として生活すること」、工藤さんは「若者として生きること」、レオナルドさんは「外国籍を持って生活することの喜びや悲しみ、苦しみ」をテーマにスピーチした。
「いじめる側こそ、本当は弱虫」
両親がフィリピン人で、小学4年生のとき日本に移住してきたレオナルドさんは、小中学時代にいじめに遭った。直接的な暴力は受けなかったものの、自分にも聞こえるような小声で「デブ」「きもい」などと悪口を言われ、「毎日消えたいと思った」という。
教皇は講話で、「いじめる側こそ、本当は弱虫です。他者を傷つけることで、自分のアイデンティティーを肯定できると考えるからです」と指摘。「自分と違うと見なすや攻撃します。違いは脅威だと思うからです。実は、いじめる人たちこそがおびえていて、見せかけの強さで装うのです」と語った。その上で、いじめに対しては、友人や仲間同士で力を合わせて「絶対ダメ」「それは間違っている」と言うことが必要だとし、「この疫病に対して使える最良の薬は、皆さんたち自身です」と伝えた。
また「恐れは常に善の敵です。愛と平和の敵だからです」と教皇。「イエスは弟子たちに、恐れることはないと言われました。どうしてでしょうか。神を愛し、兄弟姉妹を愛するならば、その愛は恐れを締め出すからです」。またイエス自身も当時、人々から侮蔑され、拒否されたとし、「イエスの生き方を見ることで、私たちは慰めを得るはずです」と語った。
いじめの経験を語ったレオナルドさんには、「持っていないすべてのことに目を留めることもできますが、自分が与え、差し出すことのできるいのちを見いだすこともできます」と教皇。「世界はあなたを必要としている、それを決して忘れないでください。主は、あなたを必要としています。今日、起き上がるのに手を貸してほしいと求めている多くの人に、あなたが勇気を与えられるのです」と励ましの言葉を贈った。
唯一許される「上から目線」
一方、教皇は途中、講話の原稿を逸れて、唯一許される「上から目線」についても話した。「私は上で、あなたは下」というような「上から目線」は、差別を生む。しかし、倒れている人が起き上がれるよう、手を差し伸べる場合も、必然的に上から目線を注ぐことになる。教皇は「上から目線」が許されるのは、このような場合だけだと言う。自分が「上から目線」になっているとき、自分の手を確認するべきだと教皇。その手は、人を助けるために差し出されているのか、それとも手を後ろに組みながら、その人をただ傍観しているだけなのか――。
他者に手を差し伸べるためには、どうすればよいのか。教皇は「それには、とても大切なのにあまり評価されていない長所を育むことが求められます」と言う。「他者のために時間を割き、耳を傾け、共感し、理解するという手腕です。そうして初めて、自分のこれまでの人生と傷から、私たちを新たにし、周囲の世界を変えることができる愛に向かって、進み出せるのです」と語った。
大切なのは「何のために」ではなく「誰のために」
続いて教皇は、家族や友人との時間を作ることの大切さを語る一方、神との時間、祈りと黙想の時間の大切さを伝えた。個人や社会全体が高度に発展しても、その内的生活が貧しく、熱意や活力を失ってしまっていることはよくある。教皇は「孤独と、愛されていないという思いこそが、最も恐ろしい貧困です」と語ったマザー・テレサの言葉を引用しながら、「この霊的な貧困との闘いは、私たち全員に呼び掛けられている挑戦」と語った。
その上で、最も重要なことは「何を手にしたか、何をこれから手にできるかという点にあるのではなく、それを誰と共有するか」だと指摘。「何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、誰のために生きているのかということです」と語った。
「あなたが存在しているのは神のため、というのは間違いありません。しかし、神はあなたに、他者のためにも存在してほしいと望んでおられます。神はあなたの中に、たくさんの性質、好み、賜物、カリスマを置かれましたが、それらはあなたのためというよりも、他者のためなのです。そしてそれこそが、あなたがこの世界に差し出すことのできる、素晴らしいものなのです」
成長するための「内的な運動」と「外的な運動」
教皇はまた、成長するためには、祈りと黙想を通して神の語り掛けに耳を傾ける「内的な運動」と、愛と奉仕の業によって他者に関わる「外的な運動」が必要だと語った。
「この内的外的な動きによって、私たちは成長し、神は私たちを愛しているだけでなく、私たち一人一人に使命を、固有の召命を託しているのだと気付きます。その召命は、他者に、それも具体的な人々に自分を差し出すほどに、はっきりと見えてくるのです」
「成長するため、また自分らしさや持ち味、そして内面の美しさを知るためには、鏡を見ても仕方がありません。幸せになるには、他の人に手伝ってもらう必要があります。(自分の)写真を誰かに撮ってもらわないといけません」。教皇はそう述べ、自分の中に閉じこもらず、他者に、特に最も困窮する人の元へ出向いていくことを勧めた。
最後に教皇は、「正しい答えを持っているよりも大切なのは、正しい質問をすること」と述べ、若者たちに「問い」を持つことの大切さを語った。