第2次世界大戦中に「命のビザ」を発給し、多くのユダヤ人難民を救った外交官・杉原千畝の生涯を描く一人芝居を、12年前からライフワークとして演じてきた俳優の水澤心吾(みさわ・しんご)さん。最近では、三浦綾子の『塩狩峠』や、真珠湾攻撃で空中攻撃隊の総指揮を執り、戦後キリスト教伝道者となった淵田美津雄など、信仰者の生涯を描いた朗読劇にも挑戦している。中でも、韓国で延べ3千人もの孤児を育て、「韓国孤児の母」と呼ばれた日本人女性、田内千鶴子の生涯を息子の視点から描いた朗読劇「ゆめの木―僕の母は韓国孤児のオモニになった」は、自身の信仰を深く見つめ直すきっかけになった作品だという。
終戦記念日の8月15日、水澤さんは韓国の浦項(ポハン)にいた。日韓の宣教協力をテーマに13日から4日間開かれた集会にゲストとして招かれ、14日から2夜連続で「ゆめの木」の朗読劇と杉原の一人芝居を演じた。上演が終わると、会場全体がスタンディングオベーションに包まれた。
田内は高知県で生まれ、熱心なクリスチャンだった母ハルの影響を受けてクリスチャンになった。7歳で朝鮮総督府の官史であった父の赴任地、木浦(モッポ)に渡り、24歳で日本語と音楽の教師として孤児院「木浦共生園」での奉仕を開始。その後、園長の尹致浩(ユン・チホ)と結婚するが、朝鮮戦争のさなかに食料調達に出掛けたまま、園長は帰らぬ人に。反日感情の渦巻く韓国で、女手一つで孤児たちを養った。1963年には大韓民国文化勲章国民賞を受賞。65年には第1回木浦市市民賞を受賞し、名誉市民になった。木浦市は田内のために初の市民葬を行い、3万人もの弔問者が訪れた。
「韓国で公演の機会を頂けるなら、という私の考えをはるかに超えて、私自身が強い影響を受けました。8月15日は、韓国では日本統治からの解放を祝う『光復節』。その時に思ったのは、和解の大切さでした」
不思議にも「和解」というテーマが、イエスが弟子たちに話した「ぶどうの木」のたとえ(ヨハネ15章)につながったという。「今回の公演を通して、もっと韓国の方々と対話や交流、和解の機会を持ちたいと思えたのは、私自身がイエス様によって神様と和解させられているからだと、深いところで気付かされました。『わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない』というイエス様の言葉が、今では素直に受け止められます」
次回の韓国公演の依頼もすでに来ているという。水澤さんは、「『和解』という自分にとって本当に大切なテーマを教えてくれた作品です。ぜひ一人でも多くの方にこの作品を見ていただきたい」と話す。
朗読劇「ゆめの木」は、10月26日(土)午後2時から、東京のお茶の水クリスチャン・センターで上演される。入場無料、活動自由募金あり。問い合わせはメディア21(電話:06・6345・2800、ファックス:06・6345・2900、メール:[email protected]、担当:増田)まで。