第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害を逃れてきたユダヤ人難民に、日本通過を許可するビザを発給し、約6千人の命を救ったリトアニア駐在の外交官・杉原千畝。俳優の水澤心吾(みさわ・しんご)氏は、2007年から一人芝居で杉原千畝を演じ続け、公演回数はこれまでに200回を超える。来月もまた公演が予定されている水澤氏に、なぜ杉原千畝を演じ続けるのか、話を伺った。
杉原千畝を演じてみたいという気持ちが沸き上がったのは、今から14年くらい前。その頃ちょうど、オーストラリアのテレビドラマシリーズに出演しており、4カ月間シドニーに滞在していた。海外の一流のキャスト・スタッフと一緒に仕事をしていく中で、「何かいい仕事がしたい」と考えていると、以前ドキュメント番組で見た杉原千畝を思い出した。しかし、この時の思いは純粋に「演じてみたい」というよりも、「いい仕事=野望」のようなものだったという。
実はその頃、日本では俳優の仕事を全くしていなかった。ある時、テレビに映る自分の演技を見て、演技力の低さを痛感し、演技をやめてしまったのだった。それはまさに「挫折」だったという。日本を離れてシドニーで仕事をしても、この挫折からは立ち直れなかった。ようやく立ち直れたのは、シドニーから戻って3年後、演技をやめてから6年が過ぎていた。
ようやく舞台に復帰し、明治座(東京)や御園座(名古屋)、博多座(福岡)など、大劇場で主要な役どころを立て続けに演じるようになった。そんな順調ともいえる中で、「観客が笑ったり、泣いたりするだけでなく、メッセージがあるものを演じたい」と思うようになった。そして以前、シドニーで思い浮かんだ杉原千畝が再び思い浮かんだ。
初めは朗読劇から始め、2007年から今のような一人芝居「決断 命のビザ」という形になって、本格的に始動したという。大きな舞台で演じるという「安定」を投げ打ってでも、杉原千畝を演じたいと思ったのは、水澤氏自身が杉原千畝に家族構成など共通点を見出したからだ。「なぜ家族をおいてまで、見ず知らずの難民を救うことができたのか」。この大きな謎が杉原千畝を離れ難いものとさせた。そして、大きな謎は「無条件の愛」へとたどり着いた。
一方、それまでに水澤氏は心理学を本格的に学んでいた。心理学を学んだことで、十数年前に挫折したのは、自分の仮の成功の姿が打ち崩されたからだと分かり、自分がいかに傲慢(ごうまん)であったかに気付かされたという。シドニーで杉原千畝のことが思い浮かんだのも、「有名になりたい」という傲慢な思いがそこにあったと話す。また、人間関係においても客観的に相手を観察することができ、その人の抱えている心の奥に潜む悩みに気付くことができ、人間関係がスムーズになったという。しかし、「無条件の愛」については、心理学でも答えを与えてくれなかった。
水澤氏は、3年前に洗礼を受けた。クリスチャンだった杉原千畝を演じたことの影響は大きい。心理学ではどうしても分からなかった杉原千畝に感じる「無条件の愛」。今は、クリスチャンになって実際に無条件の愛があることが分かったと話す。そして、神から恵みを受けていることを日々実感すると明かす。自分に神の御言葉が注がれ、自分自身の色がどんどん透明になっていくことを感じるという。
小中学校で公演をすると、子どもから「水澤さんも杉原千畝と同じ立場に立ったら、同じようなことをしますか?」と問われることがよくあるという。以前なら、「杉原千畝のように行動したい」と答えていたが、今は「杉原千畝のように行動させてほしい」と答える。以前は結局自分自身の力に頼っていたが、今は神に委ねる自分の姿がある。
最近は、新たな挑戦として、三浦綾子原作の「塩狩峠 三堀峰吉物語」の朗読劇も行っている。これは、主人公の永野信夫を最期まで敵対視していた三堀峰吉の物語として構成し直したものだ。当初、三堀峰吉を主人公にすることに原作者の夫である故三浦光世氏から反対され上演が危ぶまれたが、北海道まで光世氏に会いに行き、直談判して許可を取った。こうしたこと一つを取っても、神からの恵みだと感じると話す。
水澤氏は、杉原千畝を演じ続けることによって、「真の成功」が分かったという。「人生の成功とは、名誉や権力を得ることではなく、無条件の愛が注がれること」。そして、「無条件の愛を与えるイエス様に倣う人間に変えてほしいと願うこと」だと、これまでの出来事を振り返りながら語った。
水澤心吾一人芝居「決断 命のビザ “SEMPO”杉原千畝物語」
日時:2015年5月8日(金)、7月11日(土)、9月4日(金) 午後7時半〜
場所:内幸町ホール(東京都千代田区内幸町1−5−1)
問い合わせ:(株)三五館(電話:03・3226・0035、FAX:03・3226・0170、メール:[email protected]、担当:鈴木)