生きる糧・聖書と出会う
東京・銀座。秋晴れの午後。四丁目交差点では、行き交う人々のさざめきと車のクラクション、そして解体中のビルから漏れるドリルの音が反響し合っている。そんな銀座の一角で、渡部正廣さんは1991年以来、毎年のように秋の個展を開いてきた。街頭の騒音から隔絶された画廊には、パリの風景を描いた40点余りの油彩とデッサン数点が。
――モンパルナスの裏通りに咲き誇るバラの生け垣。サン・マルタン運河に白い雲を浮かべた夏空が映える。新緑に輝くリュクサンブール公園の塀沿いの道。夕日にシルエットを浮かび上がらせるセーヌ河畔のノートルダム寺院。サンジェルマン大通りから一歩入った路地は一面の雪景色だ――。
「何だかパリの街を散策しているような、ゆったりした気分になりました」。来訪者は異口同音にそんな感想をもらす。
山形県出身の渡部さんが、東京の中学校美術教師を辞して渡仏したのは1982年。30代前半だった。パリで風景画を描きため、2、3年で帰国して大きな展覧会に出品して入賞すれば、画家として出発できると考えた。あの頃日本の画学生たちが憧れた「佐伯祐三の描いたパリ」を描くのが夢でもあった。
「しかし、実際にはそんなパリなどどこにもありませんでした」と回想する。そこは異邦人を拒絶するような、無表情で冷たく堅い石造りの町だった。憧れや感傷や思い込みではとうてい歯が立たない。
思うように絵が描けない焦燥感。自分の才能への絶望感。生活習慣の違い。経済的な厳しさ。言葉の壁がそんなストレスに拍車をかけた。
その頃、パリに日本人キリスト教会が発足。すでに洗礼を受けていた渡部さんも集い始めた。
「厳しい現実の中で、さまざまな問題を抱えている人間には、やはりその時々の自分を慰め励まして生かすキーワードが必要なんです。私の場合、それを何度も何度も聖書の中から得てきました。悲観ではない、勇気を。絶望ではない、希望を。逃避ではない、立ち向かっていく力を。現状への愚痴や恨みではなく、感謝を持って受け入れていく深い知恵を」
1985~87年には、伝統ある「サロン・ドートンヌ」展に連続入賞。画家としての市民権を得たといえよう。1991年以来、パリ、東京、大阪、京都、名古屋、山形で個展を開いてきた。
自我を捨ててこそ見えてくる
「一般的に、描く行為は自己の感性を主張する個性の表現だといわれています。しかし私はむしろ、その独自の個性(自我)をいったん捨て去って、その状態で風景(自然)と直接接触します。そのことの中から生まれてくるものを、自己のうちに捉えたい」
そんな制作姿勢を「画家の日記」として毎月発信してきた。2013年7月の日記を要約してみよう。
「ものそのものを捉える純粋感覚の目ができるまでには、長い時間を要する。造形を通して自分を飾ろうとする思い。よけいな感傷が貼りついた感動。それによってゆがめられた不自然な誇張等々。デッサンは、その一つ一つを丹念に僕自身から剥ぎ取っていく作業といっていい」
一輪の合歓(ねむ)の花を、納得いくまで2年越しでデッサンし続けたら40枚近くになった。
農夫のように、晴れても曇っても、雨の日も雪の日も、ほとんど毎日戸外で描く。時にはマイナス2度、マイナス7度という凍てつく雪空の下で、精魂を傾けて苦しみながら一点一点描き上げていく。
ここに一枚の絵ハガキがある。新緑のリュクサンブール公園を描いた渡部さんの作品だ。毎日見つめ入るうちに、この絵がいつの間にか筆者の心の奥深くに住み着いているという不思議な感覚を覚えた。
モンパルナスの裏通りで描いているときのこと。トラックの運転手が首を出して「美しい絵だナ」と言って2、3分停車したものだから、狭い通りはたちまち渋滞。後ろの車列から抗議のクラクションが鳴り響いた。
背後からしばらく画面を眺めていた一人の老人は、「いい絵だ・・・。本当のモンパルナスの風景だ」と言い残して去っていった。
ある日、描いているすぐそばで救急車が止まった。横のアパートから、老婆がぐったりした姿で担架に乗せられて出てきた。彼女は救急車に運び込まれる間際に、やおらむっくりと上体を起こして渡部さんの絵を一瞥(いちべつ)するなり、「きれいな絵だわ」と一言。そのまま救急車で運ばれていった。渡部さんは確信した。
(あのおばあさん、きっと助かるはずだ)
道行く人たちは必ず「Bon Courage(がんばってね)」と声を掛けてくれる。この何気ない日常のあいさつは、渡部さんにとって重く深い。絵を描くために決定的に必要な資質の一つは、「courage 勇気」だと思うからだ。自分の場所から逃げず、決して諦めず、投げ出さない。習慣や惰性に流されず、限界に挑むその勇気だ。
彼はこの勇気の源泉を聖書の中に見出している。
例えば「ヨハネの福音書」の4章にはサマリヤの女をめぐるエピソードがある。イエスはこの女に語り掛けながら、閉ざしていた彼女の心の岩盤を徐々に掘り崩し、一番苦しい心中に触れ、そこに潜む罪から解放してくださった。その瞬間、この女の内からいのちの泉が湧き出したのだった。この泉が生きる自信と勇気を与えるのだ。
「彼女のように社会の底辺を歩いてきた人々には、イエス様が神であることが直感的に分かるのだと思います。この女性は、自分の全存在を懸けてイエス様を見、触れてみて、自分が罪赦され愛されていることが分かりました。この時から、もはや人を恐れず前向きな歩みを始めたのです。
私もこの女性のように、みことばに全存在を懸けて向き合います。するとその箇所が映像のように浮かんできて、イエス様がストレートに語りかけてくる。そのようにしてみことばの奥義を捉えてきました。
画家としても、対象に全存在を懸けて向き合い、手で触れてみなければ本物の絵は描けません。『サマリヤの女』は私自身なのです」(続く)
■ 風景表現の限界に挑む画家・渡部正廣さん:(1)(2)