キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テトスへの手紙2:14)
秋になると朝晩、鈴虫やコオロギなど虫の音が聞こえるようになり、季節の風情を感じるようになります。ところが、虫の音に風情や趣を感じるのは日本人とポリネシア人だけだといいます。その他の人々には雑音にしか聞こえないそうです。
日本人の受け継いでいるDNA的な体質の問題かと思うと、そうではなくて言語のトーンに由来しているといわれます。外国生まれの方でも日本語を母国並みに操れるようになりますと風情が分かるようになるといわれます。
英語圏の方々が日本語の研究を始めますと、表現の幅が英語に比べて数倍大きくて驚くといわれます。何気なく使っている母国語がこんなに奥深いものであることが分かりますとうれしくなります。
言語だけではなく、日本人の特質にも素晴らしい点があります。日本人は古来、四季の変化を楽しみ、自然と調和し、平和を愛する民族だったといわれています。縄文時代の1万年間は争いや戦争のない時代でした。聖徳太子は「和を以って貴しと為す」と教えられました。本来、国外から流入してくる人々も寛大な気持ちで受け入れ、お互いに和合していくように努めていました。日本の歴史の中で戦国時代とか明治、大正、昭和初期の戦争の時代は特異な時期であったと思います。
本来の日本人の精神は「和」ですので、人々が和みあえるように、平和になるようにリードしていく使命があるのではないかと思います。キリストによってきよめられて、世界の平和のリーダーとなって活躍する役割が与えられていると思います。
中国では、チベットやウイグルに対して迫害し、残虐な行為を繰り返していると伝えられてきます。為政者に大きな責任がありますので、迫害を生み出す政策をやめるように国際的な世論を喚起し、強くアピールしていかなければなりません。しかし、問題はもっと深いところにあるように思います。ウイグルに対する迫害政策を中国の90パーセントの国民が容認しているという驚くような調査結果があります。国内にいる人々は政府の言論統制があるから仕方のない面もあるかもしれませんが、外国在住の多くの中国人が亡命したウイグル人を非難し、攻撃しているのは理解に苦しみます。
古来、大陸では民族同士の対立が絶えず、他民族が攻めてくると、民族存亡の危機が起こりかねませんでした。その結果、他民族を攻撃して根絶やしにしてしまおうとする傾向があったといわれます。しかし、それが21世紀の現代に、繰り返されているのは狂気としか言いようがありません。互いに和合して民族自立を訴えていくのは、和の精神を持つ日本人の使命ではないかと思います。
鹿児島では宗教者懇和会が結成されて、神道、仏教、キリスト教、諸宗教の宗教者の交流、学びの時などを持っています。また、それぞれの宗教者の正装で街頭での募金活動や平和の行進などを実施しています。
宗教者の交流で親しくなった僧侶の方が次のように語られたことがあります。「すべての宗教の根源はモーセの十戒だと思います。『殺してはならない。偽証してはならない。あなたの父と母を敬え』。これに反することを教えるところがあれば、それは間違った宗教です」。私もその通りだと思います。
宗教者の交流を通してたくさんの学びと気付きを頂くことができます。日本語は仏教や神道に由来するものが多く、その意味を学ぶと言葉の深みが分かるような気がします。また、古代より渡来人が持ち込んだ聖書の教えが仏教にも神道にも影響を与えています。お互いに学びを深め、協力し合うことで世界平和の発信ができることが日本人に与えられた特質であり、使命だと思います。
古来、ユダヤでは「東の果ての島国に希望がある」と言い伝えられたと聞いたことがあります。イスラエルから見れば東の果てにある日本から和の精神を発信していかなければならない時が来ています。
彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから主の威光をたたえて叫ぶ。それゆえ、東の国々で主をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、主の御名をあがめよ。私たちは、「正しい者に誉れあれ」という地の果てからのほめ歌を聞く。(イザヤ書24:14〜16)
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