欧米では、聖書に次いで広く読まれているのが、この『パンセ』(フランス語で「思想」の意味)だといわれ、多くの著者がこの書によって知性と信仰心を養われてきた。パスカルは天才的な数学者・科学者として世に知られているが、その彼がなぜこのようなキリスト教書を著したのだろうか。それは彼の人生がそうであったように、その執筆にまつわる事情も多くの謎に包まれている。特に第7章553の「イエスの秘義」については、「あらゆる註解を絶するといわれる。他のどんな部分も、キリスト教の独自な性格をこれほど深い感動的な仕方で表してはいない」という訳者の注釈が付けられている。この『パンセ』は、いわば奇跡の書ともいえよう。日本においても、若い世代の方々がぜひ一度はこの名著に触れ、あふれるばかり豊かな思想をくみ取っていただきたいと願うものである。
ブレーズ・パスカルの生涯と『パンセ』執筆の動機
ブレーズ・パスカルは1623年6月19日、フランス中部山岳地帯オーヴェルニュ州のクレルモンに生まれた。父エティエンヌは、高級官僚の税務官であった。母アントワネットはパスカルが3歳の時に亡くなり、それ以来父は息子の教育にあらゆる情熱を注いだ。姉ジルベルトと妹ジャクリーヌとも仲が良く、彼は幸せな幼少時代を過ごした。
その後一家はパリに住むことになるが、この家には一流の数学者が集まって議論を戦わせていた。12歳のパスカルは彼らの話に興味を持ち、議論に加わりたくて仕方がなかったが、父はこれを禁じ、彼がラテン語の勉強を終了するまでは――と数学の本を隠してしまった。それでも彼がしつこく学者との議論を求めるので、仕方なく父は「幾何学」を教えることにした。するとパスカルはこの学問に熱中し、「三角形の内角の和は二直角に等しい」というユークリッドの定理を証明してしまった。さらに16歳になったころ、『円錐曲線試論』という論文を書き、この原稿は数学者たちに認められて出版された。これにはすでに、後に「パスカルの定理」と呼ばれる射影幾何学の重要な定理が含まれていた。しかし、この天才的な頭脳の持ち主は、18歳になる頃から勉強のし過ぎと過労で健康を害し、その短い生涯の間さまざまな形で病気に苦しめられることになる。
1640年、父エティエンヌはノルマンディー州ルアンの税務官に任命されるが、徴税の役目は多くの苦労を伴うものだった。パスカルは父の負担を少しでも軽減しようと「計算機」を発明した。これにより父の徴税の方法は楽になり、計算機は国内外で販売されるようになった。その後、パスカルは科学者としてずば抜けた才能を発揮し続け、『真空に関する新実験』『流体平衡論』『大気の重さについて』など、一連の論文を次々と発表。そして「周囲を密閉した液体の表面の一部に加えられた圧力は、あらゆる方向に対してそのままの強さで伝達される」という「パスカルの原理」を確立した。
彼が23歳になったときのこと。父エティエンヌは氷で滑って大腿(だいたい)骨を脱臼させ、2人の外科医を3カ月自宅に泊めて治療を受けることになった。この2人は兄弟で、ディシャン兄弟といい、ポール・ロワイヤル派の信仰を持つキリスト者であった。パスカル一家は元来カトリックの家庭であったが、パスカルは彼らから深い影響を受け、信仰に目覚めるようになった。彼は妹ジャクリーヌを信仰に導き、ついでに2人そろって父エティエンヌを、そしてその後1646年には姉ジルベルトとその夫を、信仰心のあついキリスト者にしたのだった。これはパスカルの「最初の回心」と呼ばれる。
パスカル一家が帰依することになったポール・ロワイヤル派は、受難の歴史を辿ってきた。13世紀に谷間の寒村ポール・ロワイヤルに建てられた女子修道院から伝道の業が始まり、後にサン・シラン神父が指導者となった。この一派は清貧、純潔、悔い改め、厳粛を守り、つつましく信仰生活を送っていた。そのうち、神父の親友であったオランダの神学者ヤンセン(フランス名:ジャンセニウス)の著書『アウグスティヌス』が当局から異端視されると、世間はこの一派に非難の目を向けるようになった。
それは1654年11月23日の夜のことであった。パスカルの生涯を変えるようなことが起きた。それがパスカルの「決定的回心」と呼ばれるものである。その夜の出来事は、彼の死後胴衣の縫い込みの中から、書き込みをした一枚の紙片とそれを清書した羊皮紙が見つかるまで誰も知らなかった。この断片が『覚え書き』と呼ばれるものである。彼はその思い出を大切にして、人知れず書き記したものを着物に縫い込んでいたのだった。パスカルは、この「決定的回心」後、ポール・ロワイヤルの修道院に住居を移し、ここの信徒たちと生活を共にし、彼らとの交わりに平安を見いだした。ここには「小さな学校」と呼ばれるものがあり、学問のあるパスカルはここで子どもたちや青年たちを教えたといわれている。
一方、こうした中でポール・ロワイヤル派への迫害は依然として続いており、例のヤンセンの『アウグスティヌス』が当局によって正式に異端として断罪されると、イエズス会の神学者たちは一斉にポール・ロワイヤル派を攻撃し始めた。そして、ついに宰相マザランを動かしてローマ教皇に訴え、この派への弾圧が始まった。この時、パスカルは人々から乞われて正統的なキリスト教の弁証論を世の中に示す必要を強く感じた。これが、『パンセ』執筆の動機である。
また、もう一つの執筆の動機となったものとして、1656年3月24日に起きた「聖荊(せいけい)の奇跡」がある。長らく重い病をわずらっていた姉ジルベルトの娘マルグリット(当時10歳)がキリストの荊(いばら)の冠の一部とされていた「聖荊」に触れたことによって、たちまち全快したのである。これにより、パスカルは神が味方してくださるとの確信を得、『パンセ』執筆に取りかかったのである。彼はこれを召命と受け止め、残る人生のすべてをこのためにささげたのである。
彼の晩年は、ポール・ロワイヤル派への迫害、妹ジャクリーヌの死、そして次第に体をむしばんでゆく病との闘いなど、さまざまな苦難があったが、1662年8月19日午前1時、彼はキリスト者としての信仰に満ちた姿で平安のうちに死を迎えた。39歳であった。その後『パンセ』の原稿は友人や家族によってまとめられ、1669年に初版が出た。そして翌年に市販され、多くの人々の目に留まり、やがて類いまれな思想の書として世界中に広まったのであった。
『パンセ』の見どころ
『パンセ』は権力者の支配する物質の世界の上に、学者の支配する精神の世界、そしてさらにその上に、キリストが支配する愛の世界という三重構造になっている珍しい形の思想集である。この書の中から幾つかの名文を紹介し、共に味わいたいと思う。
人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。(第6章347、204ページ)
イエス・キリストなしには、人間は悪徳と悲惨とのうちにいるほかはない。(中略)彼の内に、われわれのすべての徳とすべての幸福とがある。彼の外には、悪徳、悲惨、誤り、暗黒、死、絶望があるだけである。(第7章546、273ページ)
イエスの秘義。イエスはその苦難においては、人間が彼に加える苦しみを忍ばれる。だが、その最後の苦悶(くもん)においては、自分で自分に与える苦しみを忍ばれる。(中略)それは人間の手から生じる苦痛ではない、全能の御手からくる苦痛である。それに堪えるには全能でなければならないから。
イエスはただひとり地上におられる。地上には彼の苦痛を感じ、それを分けあう者がいないだけでなく、それを知る者もいない。それを知っているのは、天と彼とのみである。
イエスは、その弟子たちが眠っているあいだに、彼らの救いを行なわれた。彼は義人が生前の虚無と生後の罪とのうちに眠っているあいだに、そのおのおのの救いを行なわれた。
イエスは、ユダのうちに敵意を見ず、かえって自分の愛する神の命令を見、それを言いあらわされる。なぜなら、ユダを友とお呼びになったから。
――「私はおまえが自分の汚れを愛したのにまさって、いっそう熱くおまえを愛するであろう。<泥にまみれてよごれていたので>(第7章553〔イエスの秘義〕より抜粋 276~280ページ)
彼は、最後の晩餐においては、死ぬべきものとして、エマオの弟子たちに対しては、よみがえったものとして、全教会に対しては、天に昇ったものとして、交わりのために自分をお与えになった。(第7章554、281ページ)
イエス・キリストなしに、世界は存在しなかったであろう。なぜなら、その場合、世界は崩壊するか、地獄のようになるか、どちらかになるほかはないからである。(第8章556、284ページ)
永遠の存在者は、一度存在すれば、常に存在する。(第8章559の2、285ページ)
われわれの宗教以外のどんな宗教も、人間が罪のなかに生まれていることを教えなかった。哲学者たちのどんな学派も、そのことを言わなかった。だから、なにものも真実を語らなかった。どんな学派も、宗教も、地上に永存しなかった、キリスト教のほかには。(第9章606、301ページ)
今さら言ってもむだなことだが、キリスト教のうちに何か驚くべきものがあるということは認めなければならない。(第9章615、307ページ)
ダリウスとクロス、アレクサンドロス、ローマ人、ポンペイウスとヘロデが、福音の栄光のために、そうとは気づかずに輝いているのを、信仰の目をもって見るのは、なんとすばらしいことか。(第11章701、348ページ)
イエス・キリストが人々のあいだに知られずにとどまっておられたように、彼の真理も普通の意見のあいだに外観は何の差異もなくとどまっている。同様に聖体も普通のパンのあいだに。(第12章789、393~394ページ)
あらゆる物体の総和も、あらゆる精神の総和も、またそれらすべての業績も、愛の最も小さい動作にもおよばない。これは無限に高い秩序に属するものである。(第12章793、396ページ)
世の始めこのかた、イエス・キリストは存在しておられる。これは反キリストのどんな奇跡にもまさる力強い奇跡である。(第13章846、421ページ)
※ 本稿は『世界の名著24 パスカル―パンセ、小品集』(前田陽一、由木康訳)を基に執筆しています。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。