私がトヨタ自動車に入社した1980年、世界全体の車両販売台数は、年間3500万台程度だった。それから38年が経過した昨年、世界の車両販売台数は9700万台程度となり、全世界の自動車保有台数は、実に13億台を超えた。
市場規模が拡大する中、自動車への期待は多種多様になった。動力性、操作性、操安性、制動能力、積載能力、燃費、排気ガス、騒音、耐久性、整備性、生産性、価格など、それぞれの領域において市場の要求は刻々と変化し、それらに企業が応えてきたのである。
トヨタ自動車は、連結会社を含めると37万人の大所帯であるが、毎年のように組織、人事が変化する。市場の変化に応えるためには、身を切るような改革が繰り返されてきた。
私自身、熱心に取り組んでいたプロジェクトが突然中止になったり、他部署への移動を指示されたり、役職を解任されたり、不本意なことも数多くあった。しかし、それらの変革は、企業活動の存続にとっては必要なことだった。
社会の必要に応えられなければ消えていく
自動車産業の発展は、自動車という魅力ある製品の需要が拡大し、それに応える企業の自己変革の努力によってもたらされてきた。その間、時代の要求に応えられなかった伝統的な自動車会社は姿を消した。
社会の必要は刻々と変化している。社会とつながりのあるすべての共同体は、その変化に応えることを要求される。時代の変化に対応できない共同体は、やがて姿を消すことになる。キリスト教会も社会とつながる共同体である以上、例外ではない。
キリスト教会は消えていくのか?
キリストの体である教会は、すべてが消えてしまうことはない。しかし、日本社会で、もう何年も変化のない地域教会の共同体は、社会とのつながりが希薄になっている可能性があり、消滅する危険が極めて高い。既に教会の数は減ってきている。
それでは、日本社会に福音の必要がないのか?というと、そんなことはまったくない。多死社会を迎えた日本では、年間約140万人が亡くなっている。しかも、核家族化が進んだ中、体の弱さが増し、不安と孤独を抱えている高齢者が大勢いる。彼らの心は飢え渇いている。
確かに、医療や介護など、体を支える備えは整ってきた。しかし、高齢者とその家族に寄り添い、心の内面を支える人材が極めて不足している。実は、教会の献身的な人材を、今の時代は最も必要としているのだ。
もし、牧師が近隣の老人施設に出掛け、傾聴活動を続けるなら、多くの高齢者とその家族に福音を届けることになるだろう。また、地域の高齢者支援の仕組みに教会から協力を申し出るなら、大変喜ばれるだろう。葬儀やお墓の相談に積極的に応えれば、多くの人々との接点を持つことができるに違いない。
高齢者だけではない。若い世代にも教会の果たす役割は大きい。かつて、仕事の仕組みも物も少なかった時代、それらを創造する夢があった。今の時代は、既存の仕事に組み込まれ、効率ばかりを求められる。
そんな社会で、若者が夢を追い求め続けることは容易ではない。効率を上げられない者は疎まれる。そんな若者を支える役割として、教会の存在は重要になっている。
地域教会は、外からの声に対応して、出掛けてほしい
このように、かつて活力に満ちていた時代とは異なり、弱さを抱える人々が多くなった日本では、寄り添ってくれる献身的な信仰者が求められている。
弱さを抱える人々は、聖書を伝えてほしいとは言わないし、祈ってほしいとも言わない。まして、教会の集会に来ることはほとんどない。しかし、その魂は飢え渇いている。
教会は、伝統的に教会堂を作り、集会を催して人々を招いてきた。効果が少ないことが分かっているのに、もうずっと同じ方法を続けてきた。もうそろそろ方針を変え、福音を携えて教会堂から外に出掛け、飢え渇いた魂の隣人になることを積極的に実践してほしいものだ。福音宣教の現場は、教会堂の外にある。
私たち(ブレス・ユア・ホーム)は、そのよき仲介者になりたいと心より願っている。地域教会から、多くの献身的な信仰者が福音を携えて出掛けて行けるように、これからも、さまざまな仕組みを提案していきたい。
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