● 2020年大統領選をめぐる攻防
いよいよ2020年を来年に迎えようとしている。トランプ政権は、自分たちの政治的成果をアピールしようと必死である。北朝鮮に目配せしながら、中国とは熱い経済戦争もいとわない。ロシア疑惑にも一応の決着がつき、令和初の国賓となった日本での成果も上々のようだ。米CNN(日本語版)の6月6日の報道によると、独自調査の結果、トランプ再選の可能性は数字の上では54パーセントとなっている。ここに福音派がどの程度関与しているのか。これは単に政治的な問題というよりも、米国の福音派がどのような存在となりつつあるかを示すことになる。
まだ任期の4年を終えていないため、総括するには早いだろうが、それでもトランプ政権を鑑みるなら、彼らは「やると言ったことはやる」集団である。その先にどんな困難や不透明感が漂っていようとも、識者が「単なるパフォーマンス」と嘲笑しても、それでも実行に移すためのあらゆる手段を講じる政権である。
ドナルド・トランプ氏が共和党内で頭角を現わし始めたとき以来、ポリティカル・コレクトネス(PC)という言葉が独り歩きし始めた。しかしそれは、PC自体が輝きを増す方向ではなかった。PCを無視する人間(トランプ氏)を照らすためにのみ存在するかのような、主客逆転した扱いを受けることが多かったのである。
言い換えるなら、それまでいかに多くの政治家がPCを遵守することを己の施政方針とし、その枠内で対応可能な事柄にだけ手を付けてきたということの証しでもある。それは大使館をエルサレムへ移転させると言いながら、行わないできた歴代大統領のありさまを見れば一目瞭然である。
● PCをめぐる新たな価値観の出現
2016年の大統領選挙を総括して、国際問題アナリストの藤井厳喜氏は、「トランプ氏のほうが好かれたというよりも、ヒラリー氏がより嫌われていたというのが実態だ」と発言している(「週刊ポスト」2016年11月25日号)。
しかしこれは、ヒラリー・クリントン氏個人が嫌われていただけとはいえないだろう。彼女に代表される従来の政治家たち、PCを遵守することを美徳としてきた一部のエリート富裕層が、多くの米国市民からそっぽを向かれたということでもある。その証拠に、民主党の予備選では、異端児バーニー・サンダース氏が、ヒラリー氏をすんでのところまで追い詰めた。これもやはり、従来の政治家然とした在り方に、人々がNOを突き付けたサインであったろう。
トランプ大統領がPCにとらわれずに、「やると言ったことは(善悪の判断は別にして)敢行し、形にする」姿勢を示せたことは、言い換えるなら、大衆がPC的な政党政治に嫌気を差し、本音で語り、実行する為政者を求め始めたということだろう。PCが単なる忖度、形だけの正しさと見なされるようになってしまったのである。
● 消極的投票から積極的投票へ
2016年に多くの識者がトランプ氏を泡沫候補と揶揄(やゆ)し、ヒラリー氏圧勝を予想した。それは、PCが健全なPCとして機能している米国を想定していたからだ。しかし、そうではないことが図らずも証明されしまった。この潮流はいまだに衰えていない。その証拠に、民主党内では2020年の大統領選に向け候補者選びが行われているが、候補者は多岐にわたり、しかも一定の支持を得ることはできるが、それ以上に拡大する可能性をあまり感じさせない。いわゆる「マイノリティー」が、どんぐりの背比べをしているような状態に陥っているのである。
そしてその「マイノリティー」の中身は、同性愛者であったり、ジェンダー運動の旗手であったり、WASPとはかけ離れた人種を代表するリーダーであったりする。すると福音派でもWASPに属する人々は、聖書的基準からも、いまだ心のどこかに抱えているだろう人種的感覚からも、彼らを積極的に支持することはないように思える。結果、2016年と同じく、「トランプ大統領の方がまだマシ」という消極的な選択をしてしまう可能性が出てくる。しかも4年前とは異なり、彼らが願う「聖書的な基準」を満たす出来事(エルサレムへの大使館移転、保守派の最高裁判事任命など)が、トランプ大統領をして実現しつつあるのだから、積極的に投票する者たちも少なからず出現することだろう。
詳細なデータは、拙論「白人福音派では依然高い支持率、最新統計で読み解くトランプ大統領の評価」(2019年3月20日)、「米福音派の50年 彼らは『サブ・ポリティカル集団』か『真理に生きる集団』か」(同29日)に譲るが、依然としてWASPのトランプ支持率は7割近くあり、しかも福音派がその最有力支持母体だとする報道は収まっていない。
その先にある2020年の米国はどうなっているのだろうか。ひいては、私たちが着目している「福音派」は、Evangelicals として健全に機能しているのだろうか。次回は福音派のこれからを展望してみたい。(続く)
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