英スコットランドの神学生が、約200年前に活躍したバプテスト派の神学者アンドリュー・フラー(1754~1815)の速記文書の解読に世界で初めて成功した。
フラーの速記文書を解読したのは、英セントアンドリュース大学神学部3年のジョニー・ウッズさん(21)。ウッズさんは、フラーの通常の手書き文字で書かれた文書を基にして、速記文書の解読に成功したという。
南部バプテスト神学校(米ケンタッキー州)付属のバプテスト研究所「アンドリュー・フラー・センター」(英語)によると、フラーは18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍した英国バプテスト教会の牧師。同じく英国出身の著名なバプテスト派牧師として知られるC・H・スポルジョンからは「(19世紀)最大の神学者」と評され、南部バプテストの歴史学者A・H・ニューマンは、米国バプテスト教会に対するフラーの影響は「計り知れない」と述べている。
同センターによると、フラーの最初の主要な著書である『The Gospel Worthy of All Acceptation(すべてを受け入れるに値する福音)』(1785年)は、「超カルヴァン主義を論駁(ろんばく)し、現代の福音宣教の神学的基盤を築いた」という。フラーはまた、英国バプテスト伝道会(BMS)の設立にも参与し、インド宣教などに貢献した。
著名な改革派の神学者で、宣教団体「デザイアリング・ゴッド」の創設者である米国人牧師ジョン・パイパー氏は、著書『Andrew Fuller: Holy Faith, Worthy Gospel, World Mission(アンドリュー・フラー:聖なる信仰、尊い福音、世界宣教)』(2016年)の中で、フラーにとって打倒すべき「大敵」は「イエス・キリストを拒む世界的な不信仰」であり、フラーはサンデマン主義と超カルヴァン主義の危険性に立ち向かった、と述べている。
セントアンドリュース大学(英語)によると、数百ページに及ぶフラーの速記文書は説教用に書かれたもので、誰も読み解くことができないまま、英ブリストル・バプテスト大学の記録保管所に保管されていた。しかし、セントアンドリュース大学のスティーブ・ホームズ神学部長が保管された資料を調べていたところ、タイトルのみ通常の文字で「信仰告白:1783年10月7日」と書かれた文章を発見した。
この日は、フラーが英中部の町ケタリングの教会に牧師として赴任した日で、フラーが職務の一環として信仰告白を求められていたことが分かる。ホームズ氏は、フラーの伝記に普通の文字で書かれた信仰告白の文章があれば、それを速記文字で書かれた信仰告白と比較することで、解読に役立つのではないかと考えた。
このひらめきは的中し、ホームズ氏は学内の学生研究助手制度を利用してウッズさんを雇い、2世紀にわたって学者を困惑させてきた「暗号」の解読作業に当たらせた。
ウッズさんは、フラーの文書群の中で最も歴史的に重要な2つの説教の解読に当たり、数週間後に見事解読に成功した。
ウッズさんは英タイムズ紙(英語)に「200年余りの間、誰も読んだことのないものを読めるとは思いもしませんでした。それは驚くべき瞬間でした」と述べ、自分の努力が「報われた」と胸を張った。
セントアンドリュース大学のインタビューには、「フラーの説教を初めて読めたことは、この上もなく光栄なことです。この素晴らしい人物が残した驚くべき物語を通して、多くの人が洞察を得ることができるのですから」とコメント。「今後も、フラーが私たちに残した膨大な作品集の解読に取り組んでいくのが楽しみです。彼の思いに関する理解を深めたいと思いますし、その思いが彼の宣教活動を通して発展していった様子を理解できることを願っています」と語った。
一方、ホームズ氏は次のように話した。
「ジョニーがこの文書を読むことができたと私に言ったとき、それは驚くべき瞬間でした。フラーは、導き手として非常に優れた人物でした。私が所属する教会では、ほとんど『守護聖人』のような存在です。フラーの1782年以降の説教文書については、彼が説教した以外には、誰も読んだことがありませんでした。その彼の言葉が読めるなんて、学者として生きていて良かったと思える瞬間です」
フラーの神学的功績を認めた米国のニュージャージー大学とエール大学は、それぞれ1798年と1805年、フラーに名誉博士号の授与を申し出たが、フラーは謙遜にもそれを固辞したという。
セントアンドリュース大学によると、2つの説教の解読文は現在、バプテスト派の研究誌「バプテスト・クォーターリー」に掲載されており、出版も検討されているという。さらにホームズ氏は、フラーの最新の著作集の出版に向けて、フラーのさまざまな説教文書を編集中だという。