神の言葉は、人里離れた村々のまだ福音を聞いたことのない人たちだけでなく、海を航海し、外国の港に寄港する船の乗組員にも伝えなければなりません。彼らにも、命の糧が必要です。紅海のポートサイドのコルポーターは、港に入ってくる船を訪問します。1カ月で22の違った国旗を立てている114もの船に乗り込み、26の違った言語の聖書を販売したこともあります。
パナマ船籍の船の上で、ある二等航海士に、自分の国語であるエストニア語の聖書はなかろう、あったら見せてくれと言われました。コルポーターは、ちょうどエストニア語の聖書を1冊持っていました。びっくりした航海士は、すぐそれを買ってくれました。
近東のある港で、コルポーターのトウフィックは、パンとメロンの昼食を食べている港湾労働者に聖書を販売していました。すると突然英国人の船長がグループに近づいてきて、トウフィックに何をしているのか尋ねました。彼はブロークンな英語で、聖書を売っているのだと説明しようとしました。
「お前は伝道者なのか」と船長が聞きました。「ソウ、ワタシ、ミンナノチイサイ チイサイシモベ、アリマス。ドウゾ、オネガイデス、セイショ、カッテクダサイ」
船長はいらないと怒鳴りました。しかしコルポーターは丁寧に、また熱心に勧めて、新約聖書1冊を彼のポケットに押し込みました。船長は、一瞬だまって、それからトウフィックを中に連れていきました。きっと手荒い扱いを受けるだろうと思っていましたが、船長室に座って船長とお茶を飲むことになったのです。
船長は、彼に宗教のことを尋ねました。「お前はコーランも売るのか」と船長は聞きました。「イイエ。イエスサマ、メシア、アナタジュウブン、ワタシジュウブンネ」というのが、彼の簡単ですが信じる心から発した答えでした。
特別な聖書でなければ、だめな人たちもいます。それは眼の不自由な人たちです。その人たちのためには、50以上の言語ですでに聖書が出来ています。他のどんなグループの人たちよりも、この人たちは御言葉に光を見いだしています。
ある時、私は南部メキシコの小さな教会で説教をしていました。後ろのドアの近くに白髪の婦人が座っていましたが、彼女の顔は、喜びで輝き、その人がいるだけで会衆全体が祝福されているようでした。テポシナ・コロドバは目が見えません。しかし、他の人たちよりも真理がよく見えました。
お別れするときに、彼女は「聖書を読むのが私の命なのです」と言いました。あのしわの寄った手のおかげで、スペイン語の点字の聖書の盛り上がっている文字をなぞって、肉体的な暗闇の生活から御言葉による霊的な光へと導かれたのです。
目の不自由な人たちの中には御言葉を受け入れるだけではなく、配布をしている人もいます。メキシコシティの目の不自由な婦人グアダルーペ・ロシージョは、聖書を見たことのない人だとか、聖書が禁じられている人たちの家をもう何年も訪ねています。彼女のへりくだった優しさと喜びに満ちた証しは、慈善宗教の名で寄付を求めている職業的物乞いとはまったく違います。彼女は助けを求めるのではなく、御子の助けをみんなに伝えているのです。
本の中には、買われるけれども、そのあと捨てられてしまうものもあります。しかし、捨てられた本でさえ、熱心な求道者の手に入ることがあります。トゥリビオ・トレホンは、ボリビアのオルロの町の郊外でソールト・フラット(塩水の蒸発で、沈殿した塩の層でおおわれた平地)のゴミの山を引っかき回していたとき、1冊の本の一部があるのに気付きました。
100ページかそこらしかありませんでしたが、素晴らしい本でした。今まで聞いたことのないイエス・キリストのことが書いてありました。この本がどういう本であるかは見当がつきませんでしたが、それを持って帰り、読んでいました。
ある日、彼は列車で昔の友達に会いました。その道中、友達がトゥリビオに自分の生涯に何が起きたかを話し始めました。この友達はイエス・キリストを見つけ、今では酒はやめ、すべてが変わったと話しました。聖書を読んでいて、長い間探していた真理を見つけたのだと話しました。
「でも聖書は禁止されてるんじゃないか。そんな本を読んだら、一杯食わされるぞ」と抗議しました。そこで、その友達はスーツケースから聖書を取り出して、この本の言わんとしていることに何か間違ったことがあるかどうか言ってくれと、それを読み始めました。
「だって、まさかこれは聖書じゃないだろう。僕が読んでるのと同じだよ」とトレホンは、そう言って、旅行カバンから大事にとっておいた新約聖書の一部を取り出しました。すぐに、それを一語一句比べてみました。「やっぱりおんなじだ」。「考えて見ろよ、ずっと僕はそうとも知らないで聖書を読んでいたんだよ」とついに認めました。
彼の友達は、読んではいけないことになっている本のメッセージを説明し続けました。旅の終わりには、トゥリビオ・トレホンは救い主に心を明け渡しました。次の日、宣教師を訪ね、聖書全巻を手に入れ、救いのメッセージをもっと学んだのです。
御言葉を必要としているのは、アジアやアフリカやラテン・アメリカだけではありません。いわゆるキリスト教国と呼ばれているような場所でも、この同じ真理が死に瀕(ひん)した人に命を与えるのです。
第二次世界大戦の最中、一人の若いベルギーのパラシュート隊兵士が、(ドイツ占領下の)自分の国に降りて、ドイツ軍に対する地下運動をするよう指令が出ました。彼はゲシュタポに捕らえられ、独房に入れられました。
隣の独房には、ベルギー人の牧師がやはりスパイ活動の容疑で捕らえられていました。2人は仕切りの壁にモールス信号をたたいて、交信することを思いつきました。ある時パラシュート兵が「自分一人でいるのは地獄だ」と信号を送りました。それに対し牧師は「主とともに一人でいるのは天国だ」と送り返しました。
パラシュート兵が霊的に深い悩みを抱えていることを感じ取った牧師は、自分の教会員の一人にこの若者に聖書を届けてくれるように手配しました。しかし、この若者のところに来たのは聖書だけではありませんでした。イエス・キリストご自身が彼の心に入ってくださって、その独房の中で彼を変えられました。
そんなわけで、処刑される日、彼はゆっくりとベルギー人の牧師に信号を送りました。「私はこれから行きますが、死ではなく、命に旅立ちます」。牧師は後に釈放されました。
聖書は命を与えるメッセージです。私たちが生きるようにとその命をささげられた生けるキリストを示す本だからです。聖書は、この地上のあらゆる言語に翻訳され、出版され、配布され、読まれなければなりません。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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