イスラム世界で聖書の影響がどれほど強いかは、イランのテヘランのある有力なイスラム新聞が最近伝えていることでも分かります。「イラン憲法は民主主義の福音であり、自由の聖書である」と述べているのです。まだ彼らが気付いていないのは、霊的平等なくしては永続的な民主主義も本当の自由もないということです。この平等の教えは、イエス・キリストの恵みにより、神が与えてくださるものですが、私たち一人一人がそれに応える責任があるのです。
イスラム教地域では、世界の他の地域以上に聖書を伝えるには戦略的によく練った上でなければなりません。イスラム教狂信者(原理主義者)がキリスト教宣教師の働きを厳しく制限しているからです。しかし、それで聖書が排除できるわけではありません。ハルツーム(現アルハルツーム)とかオムドゥルマン(現オームドゥルマーン)といったスーダン北部の町では、献身した婦人たちがキリスト教の集まりとはまったく縁のない女性たちに家庭で神の言葉を教えています。
聖書のメッセージはイスラム教の孤独な婦人たちのために家庭で語られるだけではありません。不品行の犠牲となった不運な人たちにも語り掛けます。シリアで一人のコルポーターが回心した時計屋さんと話をしていますと、そこに2人の派手な服装をした女性が時計の修理にやってきました。その一人が二言三言、トルコ語を話しました。そこでコルポーターは間髪を入れず彼女にトルコ語で話し掛けました。彼女はイスタンブールからやってきたギリシャ人であることが分かりました。そこで現代ギリシャ語の福音書が手渡されました。
「その本はだめだわ。私の働いているあの呪われた家ではとても」と断りました。その時初めて、コルポーターは彼女の職業が分かりました。「受け取ってください。私も以前は罪人でした。でもイエス様が、私の罪を全部ご自分で身に負って取ってくださったのです」と言ってなお勧めました。彼女らは近くの住処に帰っていきましたが、しばらくして他に8人を連れて戻ってきました。そして「過酷な運命でこのような奴隷状態に縛られている私たちをも恵み、赦(ゆる)してくださるというメッセージの書かれている本を1冊下さい」と申し出たのです。
中国における福音伝道は、いやになるほどゆっくりでした。ロバート・モリソンは多くの大変な障害を受けながらも、中国語聖書翻訳の草分けとなりましたが、25年間もの疲れを知らぬ働きの末、得られたのは信徒たった10人でした。しかし、それから1世紀たたないうちに、全聖書、新約聖書、部分訳を含め年間配布された聖書の数は1392万1461冊に達したのです。
中国のコルポーターはしばしば厳しい反対と狂信者の迫害に遭い、苦しみを受けました。山東省の一人の伝道者・コルポーターは何千という人たちにキリストを知らせました。政権が共産党に取って代わられて後もその働きを続けていました。それからしばらくして、彼と友人が捕らえられ、牢獄に入れられました。彼らは、なぜこのような文明の時代にキリスト教のような時代遅れの教えをまだ伝えるのか。金が欲しいからなのか、それともアメリカの機関に雇われているのかと尋問されました。
コルポーターが簡単に福音のメッセージを証しすると、それに続いてひどい鞭打ちと車の拷問に遭いました。ところが、突然、わけも分からず解放された彼は、足を引きずりながら河北省の聖書館にやっとのことでたどり着き、そこで人々に神の啓示を受けて書かれた生きた御言葉を伝えるという慎ましい仕事を続けました。
この本は、政治境界線で止められることはありませんでした。中国の様子は、まったく不思議な矛盾に満ちていました。漢口聖書協会の代表は、こう報告しています。
別の時には、私は共産党幹部(彼らは宗教を持たないように厳しく言われています)が、私の友人の家でちゅうちょしながら神のことを話しているのを聞きました。制服の内側から小さな新約聖書を取り出して、私に見せてくれました。その扉には「これは母からもらった最も大切な贈り物であり、私の胸のポケットにいつまでも入れておかなければならない」ととても達筆な漢字で書いてありました。彼は「周りに誰もいないときにはいつでも、この聖書を開いて読み、思う存分泣くのです」と語ってくれました。
世界の中では、教会が閉鎖に追いやられるように思えることもあります。東トルキスタン(現中華人民共和国新疆ウイグル自治区)のカシガルの小さなキリスト教共同体は1933年には数百人の人たちがいましたが、イスラムの反対とロシアの支配とが結びついて若いリーダーのモハメド・アベル・アホンドが殉教しました。信者は散らされ、宣教師は国外追放になりました。しかし、そのお返しにトルキスタン語の新約聖書が「パスポートのいらない宣教師」として送られてきました。
信徒たちの手には御言葉だけしかないということもありますが、こういったときには聖霊が導き、励まし、教会の働きを進められるのです。これこそ聖霊ご自身が働いてくださっている証拠なのです。台湾において日本の統治者は、山地に住む原住民をどう扱うか苦慮していました。ついに、タイアルのチオアングという名前の素晴らしい婦人との和平が成立し、タイアル村に警察署と学校が建設されました。しかし、首狩りの習慣を止めさせることはできませんでした──日本人の首が好まれたということのようです。日本人は原住民に神道を押しつけ、宣教師の活動は厳しく取り締まりました。
1929年、すでにクリスチャンになっていたチオアングは2年間聖書学校に行くように言われました。彼女は、自分はもう歳をとっているから、何もできないと思っていました。しかし東海岸の村に戻ってくると、タイアル人の小さなグループを作って教えました。時には、日本軍の迫害に遭わないように夜教えました。日本の憲兵が、そのような運動は法律に反すると言って目を光らせて阻止しようとしましたが、人々はキリスト・イエスによって贖(あがな)われる神の愛のメッセージを聞きにやってきました。
タイアル人のドワイという名前の青年も聖書の教育を受け、人々に日本語の聖書を配る働きにつきました。若者には日本語を教えるという学校制度が出来ていたからです。憲兵は聖書を全部焼こうとしましたが、それができず、ドワイを逮捕しました。この迫害の最中に第二次世界大戦が始まりました。やけくそになった日本軍は、できる限りのことをして教会を踏みつぶそうとしました。
教会の集会は、そのまま続けられました。何週間にもわたって密かに教理を教え、回心者がしっかりとした信仰の基礎を持つようになると、出ていって他の人を導くようにという使命が与えられるのです。タイアルのクリスチャンたちは投獄され、むち打たれ、脅かされ、殺されましたが、この謙虚な年老いた婦人チオアングの教えたメッセージは、この試練を乗り越えました。戦争が終わり、教会が再び日の目を見たとき、そこには4千人を超えるクリスチャン共同体があったのです。
*
【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
◇