8月に発表された『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目の改訂について、日本のカトリック教会は13日、日本カトリック会館(東京都江東区)で臨時司教総会を開き、改訂項目の日本語訳を承認した。カトリック中央協議会が同日、公式サイトで発表した。
『カトリック教会のカテキズム』はカトリック教会の教理に関する公式の解説書で、改訂されたのは2267項。改訂前は死刑を積極的に肯定しないまでも、「不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば、死刑を科すことも排除されていません」としていた。
しかし改訂後は、教皇フランシスコの昨年10月の講話を引用する形で、「教会は、福音の光のもとに『死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです』と教え、また、全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組みます」とされ、死刑を全面的に認めない立場に変わった。
この改訂は、教皇フランシスコが5月に承認し、バチカン(ローマ教皇庁)が8月、教理省から全世界の司教に宛てた書簡と共に発表した。改訂項目については各言語への翻訳が命じられており、日本語訳は8月に暫定訳が発表されていた。
臨時司教総会ではこの他、改訂の経緯や歴代教皇らの死刑をめぐる見解などを説明した司教宛ての書簡の日本語訳も承認された。臨時司教総会で承認された2つの文書は、カトリック中央協議会の公式サイトで公開されている。
『カトリック教会のカテキズム』2267項(日本語訳)
<改訂前>
教会の伝統的な教えによれば、違反者の身元や責任が完全に確認された場合、それが不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば、死刑を科すことも排除されていません。
攻撃する者に対して血を流さずにすむ手段で人命を十分に守ることができ、また公共の秩序と人々の安全を守ることができるのであれば、公権の発動はそのような手段に制限されるべきです。そのような手段は、公共善の具体的な状況にいっそうよく合致するからであり、人間の尊厳にいっそうかなうからです。
実際、今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪びとから決定的に取り上げることなしに罪びとにそれ以上罪を犯させないようにすることが可能になってきたので、死刑執行が絶対に必要とされる事例は、「皆無ではないにしても、非常にまれなことになりました」。
<改訂後>
合法的権威がしかるべき手続きを経た後に死刑を科すことは、ある種の犯罪の重大性に応じた適切なこたえであり、極端ではあっても、共通善を守るために容認できる手段であると長い間考えられてきました。
しかし今日、たとえ非常に重大な罪を犯した後であっても人格の尊厳は失われないという意識がますます高まっています。加えて、国家が科す刑事制裁の意義に関して、新たな理解が広まってきています。最後に、市民にしかるべき安全を保障すると同時に、犯罪者から回心の可能性を決定的に奪うことのない、より効果的な拘禁システムが整えられてきています。
したがって教会は、福音の光のもとに「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」と教え、また、全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組みます。