「救われた」後の人生にも、事故・事件・病気・苦しみが絶えない。うっかり罪も犯す。そんな「救い」なら、あまり欲しいとは思わない。
キリストによる救いを次のように考えてください。
人が今の世でキリストを信じたときは、その時点ですぐに罪が赦(ゆる)され、神の子とされます。しかし、肉体のからだはこの世にあり、普通の人と同じように、事故・事件・病気・苦しみなどの災難、不幸に遭います。
また、おっしゃるように、さまざまな誘惑にもさらされていますから、ついうっかり罪を犯してしまうこともあるでしょう。これは、この段階の「救い」がいわば「半分の救い」であるからです。つまり、原理的な救い、抽象的な救いです。資格として「神の子」である状態です。
例えていえば、米国のニューヨークへ移住するのに、飛行機の切符とかパスポートとかも必要ですし、ビザ(入国査証)が不可欠です。キリストを信じて「救われた」ということは、これらを保持したということです。そのほかの事情が整えばいつでも行ける状態、基本的に準備のできた状態であるといえます。
準備のできた人(信徒)もいずれ肉体の死を迎えますが、その時は、まずパラダイス(楽園)へ行き、そこで他の信徒が来るのを待ち合わせるようです。そして、秋(とき)が来れば一緒に復活にあずかり、天国に迎え入れられ、永遠のいのちを与えられます。
その時「完全な救い」が実現します。既に原理として示されていることが具体化し、イザヤ25:6~9、黙示録21:3、4、22:1~5で詩情的・抽象的に示された救いが具体化し、死もない、苦しみもない、喜びと楽しさに満ちた完全な救い=具体的救いとなるのです。ぜひ、その準備としてキリストを信じておきましょう!
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