まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネの福音書12章24節)
聖書の中で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。・・・」というキリストの言葉は、私たちにとって重要なメッセージを示すときによく使われる。私たちは心を込めてこの箇所を読まなければならない。
麦穂の中にあるたくさんの麦粒には、それぞれ子孫を産み出す大きな力が備えられている。しかし、その一粒の麦が地に落ち、朽ち果て、皮が破れなければ、新しい芽が育っていくことはない。当然、収穫を得ることはできない。
キリストは、この麦のたとえを用いて、ご自分の十字架の死とその後の復活を予表されたが、当時そばにいて直接話を聞いた者は、誰もその意味することを理解できなかった。
しかし、間もなく彼は、人々の罪咎を背負って十字架に架けられ、死んで葬られ、3日目に墓からよみがえることによって、その後2千年にわたって多くの人に驚くべき大きな収穫を与え続けてきたのである。
もし、天地を創造された偉大な神が、キリストを通さず、聖書の言葉だけをくださっていたとしたら、罪深い世に生まれ、人生の荒波にもまれた私たちは、そのメッセージを正しく理解できなかっただろう。
しかし、神の独り子(キリスト)が私たちを愛するゆえに、弱さをまとった人間となって寄り添ってくださったのである。しかも、33年の生涯の終わりに、私たちの罪咎の罰を代わりに受け、十字架で悲惨な死を遂げた。
彼の死は人々に大きな悲しみを与えたが、3日目に墓からよみがえることにより、歓喜と共に、「死」に閉じ込められている人間に「罪の赦(ゆる)し」と「永遠の愛と希望」という極めて価値ある収穫を無条件にもたらすことになったのである。
キリストを十字架刑に定めたローマ帝国は、キリストを世界に伝える大きな役割を担い、やがて滅んだ。その後、多くの国が生まれ、さまざまな哲学、文化、宗教などの遺産が生まれ、その多くが時代とともに変化していった。
しかし、キリストによってもたらされた収穫は、2千年間その内容を変えることなく拡大し、世界中を潤し続けてきた。
そして、遠い東の果てにある日本にも、多くの人がキリストによって与えられた「罪の赦し」と「永遠の愛と希望」を伝えるためにやってきた。
先日、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録されることが決定した。約250年間のキリスト教弾圧下で、独自の方法で信仰を守り通した歴史文化が認められた結果である。
かつて16世紀に伝えられたキリスト教は、わずかの期間に日本の至る所に伝えられ、人口の5パーセントを超える人々が信仰を持つようになったといわれている。
その後、欧米の植民地支配を恐れる豊臣秀吉や徳川幕府は、キリスト教を徹底的に弾圧した。それは、世界でもまれに見るほどの厳しいものだった。
明治の初頭まで続いたこの弾圧によって殉教した人は、20万人を超えるといわれている。彼らは、キリストが伝えた「罪の赦し」と「永遠の愛と希望」を受け継いだゆえに殺されたのである。
確かに、身を隠し潜伏して信仰を守り通した歴史にも価値があるかもしれない。しかし、それ以上に殉教した20万人以上の信仰者は、キリストと同じように、地に落ちて死んだ一粒の麦として、日本における大きな収穫の基になっているに違いない。
私たちは、彼らがこの日本を愛し、日本のために祈って死んでいった足跡を大切にしなければならない。願わくは、彼らの祈りが聞き届けられ、再び日本宣教の大きなうねりを体験したいものである。
以下、長崎の日本二十六聖人記念館に保存されるパウロ三木の言葉を転記する。彼は、キリストを伝えたことにより、1597年、豊臣秀吉によって処刑された。
ここにおいでになる全ての人々よ、私の言うことをお聴き下さい。私はルソンの者ではなく、れっきとして日本人であってイエズス会のイルマンである。私は何の罪も犯さなかったが、ただ我が主イエス・キリストの教えを説いたから死ぬのである。私はこの理由で死ぬことを喜び、これは神が私に授け給うた大いなる御恵だと思う。今、この時を前にして貴方達を欺こうとは思わないので、人間の救いのためにキリシタンの道以外に他はないと断言し、説明する。キリシタンの教えが敵及び自分に害を加えた人々を赦すように教えている故、私は国王(秀吉)とこの私の死刑に拘わった全ての人々を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼と全ての日本人がキリスト信者になることを切望する。(ルイス・フロイス著『日本二十六聖人殉教記』145ページより)
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