主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒の働き16章31節)
日本では、キリスト教信者数が少ないこともあり、家族そろって信者であることはほとんどない。多くの信者は少数派であり、愛する家族、親族がやがて同じ信仰を持ち、救われることを心待ちにしている。
冒頭に示した聖書箇所は、信者の家族が無条件に救われることを示しているのではない。救いの条件は個人的な信仰だけであり、たとえ愛する家族であっても信じることを肩代わりするわけにはいかない。
しかし、家族の中の1人が信仰を持つとき、神様から注がれる祝福は実に大きなものがある。時が来ると実がなり、やがて大きな収穫が与えられる。家族の中に信仰に導かれる者が現れてくる。
アメイジング・グレイスの作詞者として有名な英国の牧師ジョン・ニュートンは、若い頃、奴隷船の船長として働いていた。アフリカから多くの黒人をまるで家畜のようにヨーロッパに運び入れ、巨万の富を得ていた。
しかし彼は、その罪深い生き方を悔い改め、神と人に仕える牧師となり、奴隷貿易廃止に貢献するようになったのである。彼の作詞したアメイジング・グレイスは、彼自身の人生の証しでもあり、今なお多くの人に祝福を届けている。
彼が信仰を持ち、神様の御旨に沿った生き方を始めた背後には、彼がまだ幼い頃に亡くなった母親の熱心な祈りがあったといわれている。神様は、その小さな祈りを聞いておられたに違いない。
人は熱心に祈っても、祈り続けることは難しい。祈ったことを忘れてしまうこともあれば、祈りの応えを知ることなく召されることもある。しかし、祈りを向けられた神様は決して忘れることはない。祝福をもって祈りに応えてくださる。
先日、葬儀の司式をさせていただいた男性は、戦後間もなく四国で入信し、洗礼を受けておられた。おそらく熱心に祈っておられた頃もあったに違いない。
しかし、間もなく教会から離れ、結婚して子どもが与えられ、70年以上も信仰生活からは程遠い生活を送ってこられた。祈ることも忘れておられたのだろう。
ところが、息子夫婦が仕事で海外に赴任中、聖書の言葉に触れ、信仰を持つことになったのである。家族に向けられる神様からの祝福は途切れてはいなかった。
さらに、帰国した彼らは、昨年、年老いた両親を関西の自宅に呼び寄せ、同居することになったのだが、父親が召されるまでの1年間の同居が実に祝福に満ちたものになった。
私は葬儀の司式を依頼されて、初めて遺族に面会したが、四国から転居し、同居した1年間の素晴らしさを何度も語ってくださった。そして、故人は、召される10日前に、70年ぶりに信仰を回復されたことも伺った。
既に70年も前に、神様が祝福の中に置いていてくださった家族であった。故人が信仰を失ったかのように見える期間にも、神様は恵みをもって寄り添ってくださっていたに違いない。
そして、最期の1年間は、弱さの中で息子夫婦との良い時間が備えられ、神様への信仰を回復して天に召されていかれたのである。それは、祝福の約束の中にある家族への神様からの特別な配慮だったのだろう。
この後、神様の祝福がこの家族にどれほど広がっていくかは到底分からない。しかし、そのスケールの大きさを信じて、祝福を受け継ぐ者になっていただきたいと切に願っている。
天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。(マタイの福音書13章31、32節)
日本の中で、信仰を持って生きるクリスチャンたちが、家族・親族、また所属する共同体に向けられる、神様の祝福の基となっていくことを心より願っている。
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