高知県人にはなじみのあるお店「手結山の餅屋」のことが時々思い出されます。なぜこのお店のことが思い出されるのか自分でも不思議なのですが、一度でも行かれたことのある人は忘れられない何かを感じるのではないでしょうか。
高知市から海岸沿いに東へ約50キロ行ったところのヤ・シィパークを過ぎ、手結港に曲がる交差点の先にあるトンネルの手前左側にひっそりとたたずむ餅屋さんで、澤餅茶屋といいます。創業170年になり、江戸時代から続いているのだそうです。峠のお茶屋さんで旅人がここで休憩していたのだろうと思います。
忘れられない理由の1つに、ここの餅が一度食べると忘れられないくらいおいしいというものがあります。シナモンが効いていて餅がなんとも柔らかく、ちょうど口に入れるのに程よい大きさで、しばらく食べていないと思い出されてくる不思議な味です。
不思議な魅力というのはそれだけでなく、あの過疎地のお店が170年も続いているということ、同じ味と同じ作り方を頑なに守って、決して流行を追うことなく、これといって宣伝をするのでもなく、静かに伝統を守っているのですが、不思議と客足が途絶えることなく、口コミで広がっていき、高知県の東部へ行くときにはやっぱりそこに立ち寄って、あのシナモンの効いた餅を買っていかないと、と思ってしまうのです。
お店のたたずまいもほとんど昔から変わらず、気を付けていないと通り過ぎてしまうほど目立たないものです。そして、玄関の戸を開けて入っても、営業しているのかな、と思ってしまうほど中は静かです。普通の田舎の古い家に来たような感じです。現代のビジネスの手法からすると真逆のような実に地味な空間です。それでも、存在感があり、なによりも170年も続いているということがすごいことではありませんか。
私がこのお店に魅かれるのは、ある意味でキリストの教会の姿を表しているように感じるからなのかもしれません。人に知られていないようで知られており、忘れられているようで覚えられており、存在感がないようで実は存在感がある、そんなところが教会のようであるからなのかもしれないと思うのです。
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