C・S・ルイスの著書『キリスト教の精髄』から、4番目の引用です。
4. クリスチャンは前進のためにしばしば後退する
「前進とは、自分が到達したいと思う地点に近づくことを意味しています。しかし、間違った角を曲がってしまったとしたら、そのまま前進しても意味がありません。目的地からますます遠くなるだけです。間違った道に迷い込んだと思ったら、回れ右をして本来の道に戻ることです。その意味で、できるだけ早く回れ右をする人こそが、最も前進的な人ということになります」―C・S・ルイス
かつて自動車で高知から高松に向かっておりました。ちょうどゴールデンウィークの時で、車が大変渋滞しておりました。まだ高速道路もできていなかった時のことです。何十キロも渋滞をして四国山脈の中をミミズが這うように行っておりました。そのうち業を煮やして近道をしようと思い、途中の分かれ道の所で国道から離れ、山道に入っていきました。
そこは車の渋滞はまったく無くてスイスイと進んでいくことはできましたが、ナビのない時代のことですから、その道がどこへ向かうのか分かりません。とにかくあの渋滞を避けてスイスイと運転できる快感はあったものの、しばらく行くと何やら訳の分からない所に出て、とうとう迷ってしまいました。
仕方なく、そこからもと来た道を引き返し、再び国道へ返ってきました。そこはまだ渋滞していました。しかし、国道に入ればいつか目的地の高松に着くことは間違いありません。それでとにかく辛抱して、ミミズのように這っているうちに、やがて渋滞が緩和され、車が動くようになり、そのうちスイスイと進むようになりました。
これはC・S・ルイスの例えで思い出した経験ですが、C・S・ルイスはもちろん、クリスチャンの生き方について話しています。人生で間違った道に迷い込んだと思ったら、できるだけ早く回れ右をして、本来の信仰の道に戻る人が人生の目標に到達するということを言わんとしています。
そして、回れ右とは悔い改めるということです。できるだけ早く悔い改めてキリストとの正しい関係に戻ることが、結局は一番早く確実に目標に近づく方法であることをC・S・ルイスは語らんとしているのですね。
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