英国のキリスト教思想家C・S・ルイスの『キリスト教の精髄』から、3番目の引用です。
3. クリスチャンは幸福よりも神を求める
「(神よりも幸福を求めるという)望みのない企てによって、人間の歴史のほとんどすべてのことが生じています。お金、野心、売春、階級制度、帝国、奴隷制度―これらは、人間が神を除外して幸せになるために何かを見つけようと試みる、長くてひどい物語です」―C・S・ルイス
私が小学生の時、先生が「人間が生きる目標は何ですか」と問い掛けられました。私には皆目見当がつかなくて黙って聞いていると、先生がおっしゃいました。「人間の目標は幸福になることです」と。その時は「そういうものなのかな」程度に聞いていました。
その後、人生を歩んでいくにつれて、生きている目的は何かを漠然と考えるようになっていきました。人に聞いたりもしました。「人生の目的は子孫を残すことだ」と言った人もいました。幸福になることは非常に大事なことであることは間違いないようですが、幸福というものは、それを求めると「青い鳥」のように自分から逃げていくものであることも分かってきました。でも、どうすれば幸福になれるのか、それがよく分かりませんでした。
しかし、キリストにあって神と出会ってからというもの、幸福を求めるということはすっかり影をひそめてしまって、神を知り、神に近くあることを求めるようになっていきました。すると、不思議なことに幸福を感じるようになっていったように思います。
幸福を求めているときは幸福を感じることができず、キリストを信じて神と共に生きるようになって、気が付いたら幸福になっていたのです。このことをC・S・ルイスは言わんとしているのではないでしょうか。多くの人々は神以外の何かで幸福になろうとして、その求める幸福を得られなくなっているように思われます。
根本的に幸福の追求には自己中心の心が働くため、そこには幸福が同居できないようになっているのでしょう。ところが、神を求めるようになると、自己中心から離れるために、恵みに感謝する気持ちが湧いてきて、知らない間に喜びを感じるようになるのではないでしょうか。
◇