主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。・・・彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから」(創世記18:1~5)
間もなく梅雨を迎えますが、恵みの雨を期待し、喜びの日々を歩みましょう。一番大切なのは私たちの信仰の姿勢です。常に神の臨在に立つという感覚と、神に喜ばれる者としての行動をさせていただきたい、それこそが、神に喜ばれる言動をし、クリスチャンとしての人生を整えて確かなものとするのです。信仰者としての覚悟を常に忘れずにいましょう。
今日は、アブラハムのエピソードから、祝福への秘訣を分かち合いましょう。彼の人生には、さまざまな問題や失敗があり、弱さも抱えていましたが、神は彼を選ばれましたし、信仰の父、祝福の基と呼ばれた人物です。人間らしい彼だからこそ、参考にして、恵まれた信仰生活の工夫を学ぶことができます。
3つの祝福される、幸せの鍵を確認しましょう。
1. 神の恵みは人を通して与えられる
私たちは、現実の世界に生きています。そして神はしばしば、私たちの目の前にいる人を通してご自身を現されます。失敗も多かったアブラハムですが、彼は信仰による素朴な感覚を非常に強く持ち、神の恵みをつかみました。彼は目の前に現れた旅人との出会いの機会を失いませんでした。
神が、超自然的な霊的現象で語り掛けてくれるならば、私たちはそれを神の言葉として聞くでしょう。しかし、目の前の人々を通して神が語られるときに、それを軽んじたり、見逃さないようにしたいのです。
核家族やひとり暮らしが増え、私たちは皆、人間関係が下手になっています。神との関係も人格的な交わりです。神との交わりを損ねないためにも、人との交わりを保ち、交わることを愛する者でありましょう。特に自分の前にいる、神ご自身を現すかもしれない人々との交わりや関わりを大切にすることを肝に銘じましょう。
2. 誰に対しても恵みを与える基本姿勢
アブラハムには、初対面の人でも、思いきりもてなし、恵みを与えるというクリスチャンの基本的な心構えがありました。これは、神からクリスチャンに期待されている基本的なものです。
アブラハムは情けない男でしたが、それでも神が彼を祝福したのは、彼が人を祝福する姿勢を常に持っていたからです。世の中の損得勘定ではなく、恵み深い者でありたいのです。良いものを分かち合い、共に喜び、気前の良い者に変えてくださいと、祈りたいのです。
あなたの周りの人々が祝福され、あなたがいるだけで、皆が明るくなりますようにと願います。あなたが恵みの震源地であることを神は喜んでくださいます。
3. 思わず出る不信仰に気を付ける
神の人が約束の子イサクの誕生を告げたとき、サラは物陰で笑い、神の人から咎められます。ふとした時に現れる不信仰に気を付けましょう。私たちの信じる神は、自然の法則の中にいるのではなく、すべてを創られた全知全能の神なのです。この神が働かれるときに、人間の理解を超えることがあっても構わないのです。
そして、聖書の語る恵みの神の本質は、愛する私たちのためには、不可能を可能にして何でもしてくださるということです。教会に来ているときにはとても信仰深く語るけれども、それ以外の場所では、神からも隠れていると思って不信仰にならないようにしましょう。常に神に喜ばれる信仰を働かせ、恵みを引き寄せる者となりましょう。
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