昨秋、アチーブメント出版から『志の力』が出版された。本書は、元文部科学大臣の下村博文(はくぶん)衆院議員とアチーブメント株式会社の青木仁志(さとし)社長の共著。青木氏は、人材教育コンサルティング会社の社長としても有名だが、クリスチャンでもあり、日本CBMCの理事長を務めるなど、「地の塩・世の光」として活躍している。
日本の教育を真剣に考えてきた政治家と、人材を育成するプロフェッショナル会社の社長による夢の対談。形は違いながらも「人を育てる」ことのプロである彼らが、今一番伝えたいこと。それは「人生をどう生きるか」だ。
昨今、目的を持たず、何となく生きている人が大勢いる。その一方で、未来学者のレイ・カーツワイルは「2045年に機械が人間を超える日『シンギュラリティ』が到来する」と予測する。
あるボーダーを超えると人工知能(AI)は急速に、無限大に発展を遂げる。これを「シンギュラリティ(技術的特異点)」と言う。シンギュラリティが起きた時代に、多くの仕事がAIに代替されるといわれている。18世紀に英国で起きた産業革命のように、失業者が多く出るかもしれない。逆にAIが代わりに働き、人は働かなくてもよくなる世界になるかもしれない。そんな時代が目の前に迫る中、果たして人は、どんな生き方を選べばよいのか。
迫りくる社会の変化に突き付けられる「人はいかにして生きるべきか」「人はどうすれば幸福を手に入れられるのか」という問い。『志の力』ではその答えが「個々人が志を抱くことだ」と述べられている。
本書の面白さの1つに、著者2人の人生観の違いがある。
下村氏は、仏教の輪廻転生を例えとしてよく出す。今世で魂を磨き、その都度の人生でその人が与えられた「人生のテーマ」に生きることが人生だと語る。
一方、クリスチャンの青木氏は、聖書の言葉をよく使う。利己的な自己実現の先の虚(むな)しさを追い求めるのではなく、神から与えられた利他的な使命を全うすることが人生だと話す。
違った宗教観を持った2人が、同じ「志を持つ」ことを大切にする事実は、「志を持つ」という行為に、人間存在の意義や真理が隠されているのではないか、と感じさせる。
今月16日には、東京の浅草公会堂で『志の力』の出版記念講演会が開催され、800人以上が参加した。講演会の冒頭、2人は「志」の原点について語った。
下村氏は、9歳の時に父親が交通事故で他界し、母子家庭で育てられた。親族に支えられた経験から「周りの人に恩返しをしたい」という強い思いを抱き、政治家を目指したという。
一方、青木氏は、若くして両親が離婚し、再婚した義理の母親に厳しく育てられる。上京してトップセールスマンを目指すが、自己実現のためにひた走りつつも虚しさを感じた。そうした中で「聖書」に出会い、考え方が180度変わった。
新約聖書の「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)という言葉が与えられ、自分がしてもらいたいことは他人にも行う「黄金律」を今でも大切にしている。
講演会では、自己実現だけを追い求めてきた過去に「虚しさを感じた」と振り返っていた。
本書が言う「志」とは、一個人が持つ「夢」ではない。「どうしたら人の役に立つのか」といったような、利他主義・社会貢献的な考えに基づくものが「志」だ。
「夢」は自分自身の自己実現にすぎないが、「志」は自己の枠を超え、社会貢献的で後々の世代にも受け継がれる壮大なもの。日本はこれから「志」を持った人間を多く輩出できるよう教育を整えていくべきだ、というのが講演会の主な内容だった。
宗教観や職種は違う2人だが、対談は機知に富んだものだった。「成功する人はやはりどこか違う」。本書を読んだり、講演を聞いたりすると、そう感じる人もいるかもしれない。しかし私たち一人一人にも奥底で眠る「志」があるはずだ。
旧約聖書にはこんな言葉がある。「わたし(神)はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた」(エレミヤ1:5)。聖書は、私たちが生まれる前から、神が一人一人に計画を持っておられることを教えてくれる。キリスト教的に言えば、すべての人には神の御心があり、本書の言葉で言えば、それは「志」と言えよう。本書は、自分自身を振り返り、自分に与えられた「志」を気付かせてくれる機会を与えてくれるはずだ。
■ 下村博文、青木仁志著『志の力』(アチーブメント出版、2017年10月)