全世界で話題の本といえば、J・K・ローリングの「ハリーポッター」シリーズか、ダン・ブラウンのラングトン教授シリーズが挙げられる。日本では現在『君たちはどう生きるか』という古典的な名著が(漫画も含めて)リバイバルされているが、これは世界的潮流とはなり得ないだろう。
そんな中、米国発の暴露本が世界で売れに売れている。言わずと知れたドナルド・トランプの暴露本『炎と怒り―トランプ政権の内幕』である。いかに売れている本であるかということは、日本版の帯を見ると分かる。「全米170万部突破 ニューヨークタイムズ第1位 世界騒然の大ベストセラー」とある。映画でいうところの「全米No.1大ヒット」「全米が泣いた!」という類の煽り宣伝文句であるが、「それくらいすごい本がいよいよ日本で発売だぞ!」という出版社の意気込みが伝わってくる。
さて、その内容はというと・・・。さまざまな識者が本書についてコメントしているから、今さら細かく取り上げる必要はないだろうが、主要なポイントだけ列挙しておきたい。
・トランプ氏が大統領になるなんて、一番思っていなかったのは当の本人だった。
・トランプ氏当選の報を聞き、涙を流したメラニア夫人。しかし、それは悲しみの涙だった。
・トランプ氏は国家安全保障など、国の重要事項を確定するミーティングであっても「疲れたから」と言って打ち切ってしまう。
・当初、事態がのみ込めていなかったトランプ氏は、次第に自分が「勝者」であることを知り、皆の前で横暴な振る舞いを始めた。
・トランプ大統領は、側近が最後に言ったフレーズしか覚えていないことが多いため、皆こぞって「最後の一言」になろうと躍起になっている。
などなど。まるでコメディ映画の様相を呈している。そして、巧みなタクトでトランプ大統領を操るのは、本書の著者であるマイケル・ウォルフ氏である。彼に対する評価も怪しい。決して学者肌の探究者ではなく、むしろジャーナリスティックに人を煽り立てることが得意な人であるという。
そういった意味では、本書は「眉唾物」と揶揄(やゆ)される作者が「眉唾物(トランプ大統領)」を題材に書き下ろした一大絵巻、と解釈することもできよう。そして、トランプ氏自身が「この本はフェイクだ!」と叫んで出版中止を要求していることも、あながちうそとは言えない。それくらい「面白い」エピソードが満載だからである。あまりにもでき過ぎ、というか、フィクションとして映画化されたらこれほど面白い物語はないだろう。
米国では、本書がテレビドラマ化されるという。さすがはアメリカ。何が大衆に受けるかをちゃんと理解し、彼らのニーズを満たそうとする商魂はたくましい。
では、そのようなフェイクに限りなく近い書物を、私たちはどのように評価したらいいのであろうか。
まずやってはいけないことは、本書の字句をそのまま受け取り、「トランプさんはこんな人だったんだ」と批判する材料にこれらのエピソードを取り上げることである。これでは「売らんがためのゴシップ記事」と何ら変わりなくなってしまう。しかし、逆にこれらすべての記述がうそ八百で、まったく信ぴょう性に欠けるとも言い切れないだろう。それくらいウォルフ氏は臨場感豊かにトランプ大統領とその側近たちの会話を入れ込んでいる。
まったくのでたらめ本として焚書坑儒にするわけでもなく、また聖書のように字義通りにエピソードを受け取って、それに一喜一憂するほどの価値がある書物でもない。
では、ここから何が見えてくるのか。そのカギとなるのは、日本版の帯に掲載されている池上彰氏の次の言葉である。「アメリカは、こういう人間を大統領に選んだのだ」
これは、本書から浮かび上がってくる真実として、疑うことができない事柄である。トランプ氏の言動が正確な描写となっているか、この著述によってウォルフ氏が読者に何を伝えたいのか。こういった類の問いに分け入るなら、私たちは密林奥深くに迷い込んでしまうことになろう。
本書を通して解明されることは、「ドナルド・トランプ」という人物がどのような人間であるかではなく、また、著者のウォルフ氏がどんな意図でこんな面白おかしいエピソードを掲載したのか、でもない。見据えるべきは、トランプ氏のような人物を結果的に大統領に押し上げた米国市民の考え、そして彼を「お山の大将」として描いた本作をこぞって購入した彼らの気質である。
日本において、各書店での売り上げランキングが毎週発表されるが、どれを見ても本書はベスト10には入っていない。アマゾンに至っては100番台という凡庸なところに位置している。アマゾン全体から見れば、順位としては高い方である。しかし、うわさがここまで先行していた作品にしては意外な経過だと言わざるを得ない。
トランプ大統領が就任して1年が過ぎ、「まさかの」「意外な」という枕詞が新鮮さを失い始めている昨今。本書が浮かび上がらせる「真の姿」は、米国民が何を求めているか、アメリカという国がどちらへ向かおうとしているのか、という問いによって明らかになる。
今年初めのNHK「クローズアップ現代」でトランプ大統領と福音派の関係が取り上げられていたが、目の前の出来事のみに目を奪われていては、決して見えてこないものがある。それは、名もなき市民たちが日々生み出し、変質させていく「アメリカ」という名の文化である。
私たちは「トランプ大統領」に目を向けがちである。しかし、真にくみ取るべきは、彼を大統領に押し上げた名もなき大衆、いわゆる「トランプ現象」を生み出した潮流の存在である。そのための良書を幾つか列挙しておきたい。どれも骨のある書物ばかりだが、これらの上に本書を置くなら、その味わいは「単なるコメディ」とはならないだろう。
会田弘継著『追跡・アメリカの思想家たち<増補改訂版>』(中公文庫、2016年)
同著『破綻するアメリカ』(岩波現代全書、2017年)
阿川尚之著『憲法で読むアメリカ現代史』(NTT出版、2017年)
本書『炎と怒り』に腹を抱えて笑った方がいたとしたら、あなたは米国民気質が理解できる。それなら続いて、その背景に存在していて、ドナルド・トランプ氏を大統領に押し上げることにつながった思想的背景に目を向けてみてはいかがであろうか。
これこそ、『炎と怒り』を正しく読み、理解するための一方策である。
マイケル・ウォルフ著『炎と怒り―トランプ政権の内幕』(早川書房、2018年2月)
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