奈良県の山間に宇陀市という所がある。日本古代史の舞台でもあるこの地に、日本のキリスト教史にとって重要な役割を果たした高山右近が生まれた沢城という山城がかつて存在した。
キリスト教に改宗した右近の父、高山友照は1564年、名説教者として知られるロレンソ了斎(琵琶法師)を沢城に招いて、一族、家臣らに聖書の教えを聞かせ、なんと150人ほどを受洗させたといわれている。その中に12歳の高山右近がいたのである。
当時、関西を中心に多くの人々が信仰を持つに至ったが、その後キリスト教は厳しく弾圧され、400年以上の歳月が流れた。沢城も城跡を残すだけとなり、キリスト教の名残も無くなってしまったかのように思われた。しかし、積まれた祈りを神様は忘れておられない。
今から50年ほど前のことである。この沢城のある城山の麓に、1人のアメリカ人宣教師が日本人の女性と結婚して移り住んだ。
宣教熱心だったこの宣教師は、この地を拠点として日本各地を熱心に訪れ、宣教に一生をささげられた。奥様との間に3人の子どもさんがお生まれになり、ご家族でその働きを支えてこられたのである。三浦綾子著の『氷点』を英語に翻訳されたが、その際ご家族の助けがあったこともお聞きした。
日本宣教に貢献された宣教師であったが、10年ほど前に召され、その後、奥様も体調を壊し、昨年の初めに、余命半年という宣告を受けられた。残念なことに3人の子どもさんたちは、だれもキリスト教会とのつながりがなく、信仰の灯が再びこの地から消えていくように思われた。
しかし、余命の少ないことを知ったご家族が、お母様の葬儀準備のため、当社に相談を寄せてくださったのである。すべてをご存じの神様が、再び信仰者たちとの接点を作ってくださったに違いない。
葬儀相談の依頼は、依頼を寄せてくださるご家族を取り巻く状況を、どれほど汲み取れるかによって、その後の展開が変わってくる。1本の電話から得られる情報は限られているので、面識のないご家族ではあったが、お母様がおられる老人ホームを直接訪問させていただけるようにお願いした。
車で神戸から3時間余りの宇陀市の高台に、お母様のおられる老人ホームはあった。余命期間と言われた時が過ぎ、お父様の終末時を含めると20年近い献身的な介護を続けてこられたご長女が、寂しさを抱えつつ寄り添っておられた。
手短に状況をお聞きしただけであったが、祝福の約束の中にあるご家族であることを知り、今後の寄り添い方を思い巡らした。私自身が訪問を継続して、ご家族を導きたい思いに駆られたが、今後のことを考えて、近隣の牧師に委ねることにした。
幸い、ふさわしい牧師夫妻が近隣におられたので、早速お電話を入れ、状況を説明し、定期的な訪問とお母様の病床で、ご家族と共に良い時間を過ごしてくださるようにお願いした。牧師は快く引き受けてくださった。
それから4カ月ほどの間、牧師夫妻がお母様の病床を訪ね、温かい賛美と祈りの時を持ってくださった。宣教師夫妻がお元気な頃は、ご家族で祈られたことも多かったに違いない。神様は不思議な導きで、終末期を迎えたお母様のお部屋の中で、再び祈りを積ませてくださったのである。
信者のうちに宿る聖霊は、たとえその人が祈らなくなり、信仰を失くしてしまったかのようになっても、決してその人から離れることはない。時が来れば、再び神様が信仰を呼び戻してくださる。そして、やがて天に召してくださる。
病床にあるお母様も、弱さを抱え、認知症が進んではいたが、神様の子どもとして、静かに天に召されて行かれた。そして残されたご家族には、訪問してくださった牧師夫妻とのつながりが生まれ、聖書の言葉に触れることになったのである。
神様の計画は、人の思いをはるかに超えて祝福に満ちたものである。私たちは、神様の祝福が点と点をつなぐようにしか見えていないが、実際にはもっと大きな広がりを持っているに違いない。
今春、沢城の麓にあった宣教師夫妻の拠点を、再び宣教のために用いる企画について、寄り添っていただいた牧師から報告を受けた。神様の祝福は確実に広がっている。祝福に満ちた神様の栄光を、これからも共に拝したいものである。
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