宗教離れの進む日本ではあるが、キリスト教式の結婚式の割合は、長年60パーセント程度と高い割合を維持している。キリスト教の良い印象が受け継がれていることはうれしいことである。
しかしながら、業者が主導する結婚式が一般的となり、新郎新婦と司式をした牧師や教会との接点が少なくなり、いわゆるブライダル宣教が進みにくい状況が続いているのも事実である。
教会で行う結婚式であれば、結婚する2人に聖書に基づくカウンセリングを実施したり、結婚後も良い家庭づくりを支えるプログラムを提供したりすることもあるが、一般の業者が主導する場合は、宗教関係者が結婚式前後に、新郎新婦と接触することを避けようとする傾向がある。
一般通念として、日本の社会には宗教を冠婚葬祭時にのみ受け入れ、それ以外の場では「宗教お断り」の常識がまかり通っている。日本人の内面は飢え乾いていても、宗教者が寄り添いにくい状況が存在する(参考:第1回「信仰心を表現できない日本人」)。
商業ベースで多くの業者が主導するキリスト教式の結婚式が多くなってしまっているが、もう一度教会や牧師が、新郎新婦に寄り添える仕組みを再構築したいものである。
一方、キリスト教式の葬儀が葬儀全体に占める割合は、現在のところ1・7パーセント程度と極めて少ない状況にある。日本のクリスチャン人口が1・0パーセントとすると、未信者が教会以外で行うキリスト教葬儀は0・7パーセント程度となり、一般的には滅多に見られない式ということになる。
これだけ件数が少ないと、一般の葬儀社では、企業努力を向ける価値のない領域とされているのか、今のところ司式をする牧師に葬儀式全体の進行が任され、葬儀社から遺族との接触を制限されることはない。
また、葬儀全体の70パーセント以上を占める仏教式葬儀文化の中に、定期的な法要の習慣が存在するため、キリスト教式葬儀後においても、納骨式や記念会の機会に、遺族に寄り添うことが可能になっている。
最近、葬儀社が主導する無宗教葬儀の内容が、キリスト教葬儀に極めて近い内容になっているのは注目に値する。宗教者がいないことで制約がなく、さまざまな工夫が織り込まれ、故人への感謝と遺族への慰めが強調されている。信仰に基づくものではないが、天国への希望も見え隠れする。
このような洗練された無宗教葬儀が、今後日本で増えていくのかと思いきや、一般の葬儀社では、宗教者がいない葬儀は、通過儀礼としての役割を担えないと感じているらしい。
もし、無宗教葬儀の場に牧師がいて、遺族に寄り添ったふさわしい祈りを導くなら、無宗教葬儀の流れを変えることなく、立派なキリスト教葬儀になってしまうのである。
仏教葬儀文化の急速な衰退もあり、今後は一般の葬儀社においても、キリスト教葬儀比率が高くなり、現在の無宗教葬儀に牧師の祈りを加えたようなキリスト教葬儀が増えていく可能性がある。そうなると、葬儀式の進行を牧師がすべて担うことが難しくなるだろう。
キリスト教式結婚式と同じように、実施件数の増加に伴い、業者が主導する商業ベースの葬儀となり、遺族との接触が制限されることはぜひとも避けたいものである。
そのためにも、教会や牧師が主導して生前から寄り添い、エンディングをサポートし、看取り、葬儀、グリーフケア、納骨式、記念会と事細かく対応する仕組みを今のうちから構築しておきたい。
結婚式も葬儀も、日本における重要な通過儀礼である。キリスト教会がそれらの司式に対応するのは当然だが、それぞれの式の前後から寄り添い、日本の家族を代々にわたって支え続けるキリスト教会でありたいものである。
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