好調な景気判断が年初より株価を押し上げ、2018年内にも日経平均が3万円を超える予想も聞こえてくるようになった。人、金、物が活発に動き出す活気ある時代が再び日本に訪れるかもしれない。
教会にいると、ビジネス経験のない教職者が多いこともあり、この世の流れに無頓着になりがちだが、聖書は「不正の富に忠実であれ・・・」と伝えるように、この世の流れを敏感に察知し、御心に沿った働きをするように勧めている。福音宣教も人、金、物が動かなければ拡大することはない。
しかし、世の中に溢れる情報は極めて自己本位であり、惑わされることが多いことも知っておかねばならない。御心に沿った歩みをするためにも、私たちは得られる情報を慎重に吟味していかなくてはならない。
私は大手の自動車会社で内燃機関の開発に長年携わってきたが、昨今の自動車の電動化の流れ、特に電気自動車の将来性を訴える世の中の流れには大変違和感を覚えている。
私が就職した1980年には、すでに電気自動車の開発部門が存在した。その後、開発は形を変えて継続されてきたが、電池寿命や充電時間の課題はずっと変わらず普及を阻んできた歴史がある。HV、PHV、FCVなどは、電気自動車の欠点を補う形で、電動化の流れの中で開発されてきたのである。
電気自動車の欠点を補完するこれらの真摯(しんし)な技術開発を否定して、今に至って電気自動車が将来を開く最新の技術であるかのような表現は、表面的な人、金、物の動きにだけ惑わされた主張といえるだろう。
同じように、私が今取り組んでいるエンディング産業においても、間違った情報が溢れている。多死社会を迎え、多くの人が自分らしいエンディングの手法を望んでいるに違いないと新規参入してくる業者が国内外から増えているのだ。
日本人が葬儀にかける費用の平均は200万円に及ぶという調査結果もあるが、米国44万円、韓国37万円、ドイツ20万円、イギリス12万円と比べると極端に高い。これらに加え、年間死亡者数が増え続ける現状に対し、業者の注目が集まるのも不思議はない。
昨年8月に東京ビッグサイトで行われたエンディング産業展では、葬儀社、仏壇仏具店、墓地業者、装飾業者、その他多くの関連事業者がエンディングを彩る工夫を展示していた。
人、金、物が動き、一見日本人がこれらの業者の目新しい提案を必要としているかのように思う。しかし、私がこの3年間、エンディングの現場を通して知った必要は、もっと別なところに存在している。
私たちは、牧師(信仰者)としてエンディングの現場に関わらせていただくことによって、さまざまな可能性を知ることができた。信仰があるがゆえに、死を目前にして、弱さを抱えながら生きる高齢者や、それを介護する家族、また大切な家族を失ったのちに、遺族に寄り添う道が開かれていったのである。
生活環境や家族環境はそれぞれ異なるが、日本の多くの家庭では、エンディングに対して霊的な備えができていない現実がある。核家族化が進み、医療や公的な介助だけではどうにもならないぎりぎりの状態が続いているのである。
物理的な助けが必要な場合も多いが、彼らの内面を霊的に支える実際的な働きが特に大切である。牧師(信仰者)が彼らの弱さに寄り添い、天国の希望を抱いて共に祈ることを目標としたアプローチが切に求められる。
死を受け入れるということは、残された時間をいかに充実して生きるかにつながっていく。そして、その充実感は死後に広がる永遠の希望によって満たされる。人生の最後に、弱さを担ってくださる神様の大きな愛に身を任せ、共に祈らせていただけるなら、神様の祝福が弱さのただ中に満ち溢れることになる。
宗教お断りがまかり通る日本で、牧師(信仰者)が未信者に寄り添う人、金、物の流れを作ることが私たちの役割である。私たちは信仰を通して永遠の希望を分かち合う働きをしているのであり、宗教を布教しているわけではない。
2018年の最初にあたり、私たちは胸を張ってこのビジネスを拡大していこうと思っている。この年、神様の祝福が日本を覆うに違いない。
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