第48回衆議院総選挙が10日、公示された。この選挙で戦う候補者の中には、何人かのクリスチャンがいる。それぞれどういう信仰的背景を持った人物かを紹介したい。ただ、洗礼は受けているが、現在、礼拝やミサに毎週通い、教会生活を送っているか、キリストに対して誠実な生き方や主張を貫いているかは問わない。まず今回は自由民主党公認の立候補者から。
片山哲、河上丈太郎など、社会党の大物にもクリスチャンは多かったが、自民党の歴代首相にもクリスチャンがいる。第19代内閣総理大臣の「平民宰相」である原敬(1856~1921)は16歳の時、カトリックの神学校で学んで洗礼を受け、宣教師の伝道旅行について学僕をしていた。第68、69代の大平正芳(1910~80)も19歳の時、日本キリスト教会観音寺教会(香川県)で洗礼を受けた。「キリスト新聞」(67年)のインタビュー記事に、「聖書から離れて生きることはできない。祈りの中に神さまとの対話もつづけている」と語っている。
石破茂氏(60、10期)は鳥取1区(鳥取市、倉吉市など)で、共産党新人の塚田成幸(なるゆき)氏(50)と戦うが、前回(2014年)も前々回(2012年)も塚田氏が立候補し、8割以上の圧倒的な得票率で石破氏が勝っている。石破氏は1986年、第38回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区(定数4)から29歳の時に出馬し、最下位の4位で初当選。以後、トップ当選を続けている。
母方の曽祖父が、新島襄の愛弟子である金森通倫(みちとも)。熊本バンドの1人として熊本洋学校から同志社へと進み、同神学校を卒業後は日本組合基督教会岡山教会の牧師を務め(1880~86)、40代でいったん棄教するものの、その後、救世軍やホーリネス教会で活躍、晩年は葉山の洞窟で暮らすという数奇な人生を歩んだ。
金森の妻、旧姓西山小寿(こひさ)は神戸英和女学校(現在の神戸女学院)の第1期生で、岡山の山陽英和女学校(現在の山陽学園)の創立者の1人(初代専任教師)。2人の間にできた長男、太郎が石破氏の祖父、そしてその長女の和子が石破氏の母親となる。父親は鳥取県知事から参議院議員になった石破二朗で、クリスチャンではなかったが、母親が通っていた日本基督教団鳥取教会(現在は橋原正彦牧師)で石破氏は洗礼を受けている(現在も現住陪餐会員)。同教会の宣教師によって始められた愛真幼稚園に通い、鳥取大学教育学部附属中学を卒業後、東京に出てきて慶應義塾高等学校に進むと、日本キリスト教会の世田谷伝道所(現在の世田谷千歳教会)に出席して、教会学校の教師も務めた。
昨年行った本紙のインタビューに石破氏は自身の信仰を次のように語っている。
いつも心にとどめている聖書の箇所は「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ(ルカ18:9~14)。ファリサイ派の人は「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と心の中で祈ったが、徴税人は目を天に上げようともせず、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った。「『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない』というところが好きです」と石破氏。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14節)。この聖句を心に刻み、いつも自分を戒めているという。
「当時も好きで、今も好きなのは、『讃美歌』(1954年)の7番『主のみいつとみさかえとを』と191番『いともとうとき主はくだりて』で、私の愛唱歌。191番の3節に『数多(さわ)のあらそい み民をさき・・・』とありますが、実際、私ども、毎日こんなことをやっています。そして、何が正しくて何が間違っているかは人の知るところではありませんが、『かみはたえざるいのりをきき、なみだにかえて歌をたまわん』と心から信ずる者です」
第92代内閣総理大臣を務めた麻生太郎氏(77、12期)はカトリック。洗礼名は「フランシスコ」。
その家系の中では、祖母の吉田雪子がまずカトリックの洗礼を受け、長男(評論家の吉田健一)以外、その子どもは皆、カトリックとなり、麻生氏の母親である和子(三女)も聖心女子学院を卒業したカトリック信者。洗礼名は「マリア・ドロテア」。
祖父の吉田茂(1878~1967、第45、48~51代内閣総理大臣)もカトリックに好意的で、1964年に建設されたカトリック東京カテドラル関口教会の後援会会長も引き受けた。その主任司祭である濱尾文郎氏(後の枢機卿)に、「死にそうになったら、洗礼を受けて『天国泥棒』をやってやろう」と語ったこともあり、濱尾から臨終の洗礼を受け、「ヨゼフ・トマス・モア」の洗礼名が与えられ、関口教会で葬儀が行われた(国葬は日本武道館で)。
父親の麻生太賀吉(たかきち)もカトリック信者であったことから、その長男である太郎氏にも幼児洗礼が授けられた。
79年、旧福岡2区(現8区)で定員5人のうち4位で初当選。2期務めた後の第37回衆議院議員総選挙(83年)では、田中角栄元首相にロッキード事件の実刑判決が出た直後だったため自民党が過半数割れし、麻生氏も落選。しかし、第38回以降は、社会党の土井たか子ブームだった第39回(90年)に社会党新人の後塵を拝した時以外はトップ当選を続け、最近では次点にダブルスコア以上の得票数を得ている。
長崎4区(佐世保市、平戸市、松浦市、西海市など)の北村誠吾氏(70、6期)は土地柄もあり、カトリック。第42回衆議院議員総選挙(2000年)で無所属で初当選。翌年、自民党に復党する。民主党が自民党から政権を奪った第45回(2009年)で民主党(元自民党)の宮島大典(だいすけ)氏(54、2期)に4484票差で負けた以外は、以後、北村氏が当選を続けている。前回は北村氏が6万1533票、宮島氏は4万2690票。今回、宮島氏は希望の党から出馬することでどのように票は動くだろうか。
自民党には他にもクリスチャンではないかと言われる立候補者がいるが、情報をお持ちの方はぜひ本紙までご連絡をいただきたい。