閉塞状況にある日本宣教に風穴を開けるには、教会が神の国の福音を正しく理解し、地域に根ざした実践を始めること。教会の公共的使命について話し合うフォーラム21「神の国と人間の回復」(主催:東京基督教大学共立基督教研究所)が16日、お茶の水クリスチャン・センター8階チャペルで開催された。稲垣久和氏がコーディネーターを務め、山口希生(のりお)氏、加山久夫氏、岡山慶子氏がそれぞれ発題した。
近年、政治問題が議論されるなど、キリスト者の社会的責任の理解は福音派内でも進んでいるが、実際の日本の教会では、神と人間の関係、教会内奉仕に信仰理解が留まりがち。特にきよめ派の流れの強い福音派では、医療や福祉、教育、環境問題をはじめ、社会の中でキリスト者が働くことの理解はあまり深まっていない。
そのような中で稲垣氏は早くからキリスト教哲学者として、神観と人間観だけではなく、聖書的な世界観を持って生きることの重要性を訴えてきた。現在も東京基督教大学大学院教授、同大学付属共立基督教研究所所長を務める傍ら、『キリスト教福祉の現在と未来』(キリスト新聞社)や『宗教と公共哲学』(東京大学出版会)など、多数の著書を世に問い続けている。
その稲垣氏が会の冒頭、開催趣旨を次のように説明した。
「プロテスタントの日本宣教は150年以上たっても十分な成果を上げられていない。それは、硬直した聖俗二元論に立つ日本のキリスト者の福音理解に問題があるからではないか。信仰は個人の心の問題とされ、自分の救いだけに終わる信仰の私事化された現状を何とか打破しなければならない」
続いて山口氏が登壇。近年、主流派や福音派の壁を超えて注目されている新約聖書学者N・T・ライトの著書『シンプリー・ジーザス』(あめんどう)や『新約聖書と神の民』上巻(新教出版社)を山口氏は訳出しているが、そうした神学の新しい流れを紹介しながら「神の王国とは何か」について語った。
山口氏はライト教授の指導のもと、2015年、セントアンドリュース大学(スコットランド)から博士号(新約聖書学)を授与された。野村證券、メリルリンチ日本証券等に勤務した経験もある。現在、日本同盟基督教団中野教会の伝道師をしながら、東京基督教大学非常勤講師、共立基督教研究所研究員を務める。
山口氏は、「神の王国はすでに始まっている」という正しい福音理解をクリスチャンが持つことによって、教会の働きは社会に向けて健全に開かれていくのではないかと訴えた。
イエスの宣教の中心メッセージは、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)。新共同訳などでは「天の国」「神の国」と訳されているが、死んだ後に行くような彼岸的な「あの世」ではなく、本来これは「神の王国」と訳すべきもの。しかも、領域的・時間的制限のない「王としての神による支配」が現在あることを伝えるのが福音だと強調した。
「神の国の到来」はしばしば「再臨」、やがて訪れるものとして曖昧(あいまい)に考えられがちだが、実はイエスが十字架と復活を経て、すでに王として「即位」したことが聖書では語られている。つまり、「神の王国」があらゆるところにすでに来ていることをクリスチャンが信じることができれば、この「地」にあって神の御心を積極的に行えるようになるのではないかと力を込めた。
加山氏は明治学院大学名誉教授で賀川事業団雲柱社理事長。共著の『新約聖書のこころ』(キリスト新聞社)の他、賀川豊彦『友愛の政治経済学』(コープ出版)の翻訳も手掛けた。
伝道者だった賀川がなぜ教会の枠を超えて、「協同組合の父」として社会的に高く評価されるまでになったのか。その賀川の思想を端的に表す言葉が「贖罪愛」だと加山氏は言う。
「贖罪愛は教会内に制約されるものではなく、すべての被造物に注がれている。教会やキリスト者が本当にこの恵みを理解しているなら、被造物が本来の在り方に回復するための『贖罪愛の実践』に自覚的であるべき。それは具体的には、社会の底辺に追いやられた人たちにキリストの愛を注ぐこと。そうした神の御心を同時代の人々に実践をもって伝えたのが賀川だ。
聖書には『救済の歴史』と『神の創造の歴史』という2本の流れがある。すべてのものが神によって創られたという聖書的視点で教会外の被造世界を捉え直す必要があるのではないか。そのすべての被造物を救うことが神の御心。その2本の流れは聖書の中で統合されている。
日本のプロテスタント教会はしばしば教会という狭い枠組みの中で聖書を強調する傾向がある。しかし、聖書の中では被造物全体が恩寵(おんちょう)のうちに捉えられている。教会の内と外を統合すべきと賀川は考えた。
そんな賀川はずっと孤独で、理解されない存在だったが、今こそ賀川の働きを再評価することで、今日のキリスト教の閉塞状況が打破できるのではないだろうか」
最後に、朝日広告社(朝日新聞社グループの広告代理店)の女性だけの営業チームが独立して生まれた朝日エル・グループの会長で日本基督教団行人坂教会員の岡山氏が、ビジネスパーソンの立場から教会に対して問題提起をした。岡山氏は、自分と隣人が必要なことを形にするという信念で、乳がんの早期発見(ピンクリボン)、仕事と子育ての両立支援(仕事と子育てカウンセリングセンター)など、身近なテーマの啓発活動をしてきた。
「教会自体が聖俗二元論を顕在化しているのではないか。自分たちが生活しているところと別の世界があるように表現することで、余計に悩みを深くしている気がする。教会に来る人は、仕事を持って、そこが神の国として働いている人が多い。しかし、牧師たちにとっては、企業は世俗の代表と考えられている。このギャップは何か。
今では、企業が自分の存在意義を考え始めている。持続可能な社会の担い手となろうと、企業は社会貢献のための努力をしている。世俗といわれる企業の方が『自分たちは社会のために存在する』と考えるようになったのに、教会は『この社会のために存在している』という意識が低いのではないか。
『神の国』は私たちの日常の中にこそ存在する。永遠を思いつつ今日を生きる人々の群れがあふれ、誰も悲しむことのない社会の実現こそ、教会の公共的使命。
そのためには、地域から実践を始めることではないか。地域に根ざしたことをするのが大切だ。その教会がやらなければならないことは何かをまず考えてほしい」
その後、4者が前に並んで、発題の内容についてそれぞれ稲垣氏の質問に答えた後、会場からの質疑応答が行われた。中には次のような厳しい指摘も飛び出した。
「信仰の私事化というのは、現実には教会の私物化、牧師の自己保身、信徒の自己満足ではないか。そうして教会は制度疲労を起こし、是正も予防処置もとれない事態に陥っている。一般でも8月19日に有楽町朝日ホールで『激動する世界と宗教』というテーマでシンポジウムがあった。池上彰氏、佐藤優氏、松岡正剛氏、若松英輔氏などが討論したが、その会場には若い女性が4割もいて、宗教への関心の高さがうかがわれた。一方、この集会ではやはり高齢者が多い。今後はもっと具体的に社会に開かれたものになっていくことを期待している」