和紙ちぎり絵作家の森住ゆきさん。埼玉県の単立行田カベナント教会員で、月刊「マナ」(いのちのことば社)の表紙を飾るちぎり絵を見た方も多いだろう。20代の頃、やりがいのある仕事に取り組みながらも、誰にも言えない不安や悲しみを感じていたが、ある日、聖書の御言葉に出会って、心の奥に十字架という贈り物が届けられた。神様の深い愛を知った時、ちぎり絵はイエス様の救いを伝えるための1つの道具になったという。
和紙ちぎり絵との出会い
和紙ちぎり絵を始めたのは20歳の頃です。デザイン専門学校を卒業後、前橋にある会社の広告部門で働き始めたのですが、上司から「クリエーターは会社の仕事にとどまっていてはいけない。ギャラリーを借りてやるから何かしろ」と突然言われたのです。でも、当時の私はそんな高い意識はなく、披露できる持ち駒もなかった。どうしようかと困っていた時、友達から届いた手製のバースデーカードに、ちぎり絵で一輪の花が貼られていたのです。ケバケバが柔らかくて温かい。ちぎり絵は周囲の誰も取り組んでいないし、簡単そうだし、と自己流でやり始めました。
それがやがて勤務先の会社の商品カタログやパンフレットに採用されるようになりました。また当時、会社の仲間と出したミニコミ誌に載せた文章が「上毛新聞」の記者の目に留まり、新聞の文化欄に短いエッセーを連載するようになりました。それをきっかけに、新聞社の出版局経由で書籍カバーや企業広報誌に絵や文を使っていただけるようになりました。
誰にも言えない不安を抱えて
会社に勤める傍(かたわ)ら、ちぎり絵に取り組み、それが作品となって世に出ていく。充実した生活を送っているように見えますが、20代後半は、先の人生を考えると怖かった。若さは長く続かないし、ちぎり絵の仕事もこの先あるかどうか分からない。どうやって生きてゆくかを考えていた時に、結婚を申し込んでくれる方がいて、「結婚はしておいたほうがよいのではないか」とも思いました。でも、その決断にくじけ、結局逃げ出してしまった。信じられなかったのは相手ではなく、自分自身の心でした。 この辺の詳細は『アメイジング・グレイス』(いのちのことば社)という本に書きましたが、そんな自分を恥じ、敗北感を抱えていました。
その頃、ミニシアター系の映画に興味を持ち始めていた私は、あるグループが主催する自主上映会に通っていたのですが、そこでちょっと変わった人と出会いました。たまたま「映画の中に出てくる神の存在が理解できない」と彼に話したところ、「それは聖書を学ばないと分からない」と言う。「神様を学ぶ」という言葉に何か納得できないザラザラしたものを感じたのです。いろいろ話をしていくうちに、彼がクリスチャンであることを知りました。その時、彼は教会から距離を置いていた時期だったのですが、私は、「クリスチャンには、他者からどう言われても、決して手放さない何かがある」と感じました。
いかに自己中心な生き方だったか
その何かを知りたくて、彼の高校時代の友人である山口陽一氏(現在、東京基督教大学教授)が牧師を務めるプロテスタント教会を彼と一緒に訪れました。1987年6月のことです。山口牧師は、当時の私の住まいから近い日本福音キリスト教会連合前橋キリスト教会を紹介してくださり、行ってみることにしました。
といっても、宗教的な場所に近付いてゆく警戒心はとても強く、「だまされてはいけない」という気持ちがありました。ですので、当時の牧師だった舟喜拓生(ふなき・たくお)先生に、いきなり教会の財政に関わることを質問したりしました。しかし舟喜先生は、初対面に近いにもかかわらず、「私の生活は、信徒の献金の一部をいただいて支えられています。どうぞこれを見てください」と、教会の会計年度報告書まで見せてくれました。ぶしつけな質問にも快く応じる姿勢と、教会は信徒に対してガラス張りの情報開示をしている事実を知り、「では、ちょっと通ってみようか」という気になりました。
そして毎週、礼拝と聖書の学びに参加するようになりました。その中で、神様はどのような方なのか、私はこれまでいかに自己中心に生き、罪深かったのかが分かるようになりました。問題なのは、他人が私のうわべをどう見るかではなく、心の内側の姿でした。自分を会社組織に例えるなら、人知れず内部負債を抱えつつ、「破産状態」を悟られぬよう操業しているようなものだと知ったのです。そこに気付いてから、聖書の言葉がすっと心に入ってくるようになりました。
受洗、そして結婚へ
聖書を学ぶうちに次の御言葉に出会い、今まで経験したことがないような魂の揺さぶりを覚えました。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。(イザヤ43:4、新改訳)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(41:10、同)
わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(46:3~4、同)
87年のクリスマスに前橋キリスト教会で洗礼を受け、その後、教会に通うきっかけを作ってくれた人と結婚しました。神様は、私の結婚観のゆがみを通して自己中心の罪を具体的に示してくださいました。また、出会った当時は教会から離れていた夫は、教会生活に復帰するようになりました。どちらも欠けの多い者同士ですが、2人の真ん中に神様がいてくださることを深く感謝し、互いに助け合って30年近く歩んでいます。
ちぎり絵を宣教の働きのために
結婚後はデザイナーを辞めて埼玉県に引っ越し、家庭に入りましたが、キリスト教系の出版社から月刊誌等のお仕事をいただくようになりました。いろいろな理由で制作が途切れた時期も何度かありますが、それでも不思議なように今まで制作を続けてこられました。長年ちぎり絵を制作でき、それを発表する場が与え続けられていることは、ただただ神の恩寵だと思っています。このことに感謝し、神様の恵みに少しでも応えてゆきたい。ちぎり絵を自分の満足のためではなく、イエス様の救いを伝えるための道具として使っていただきたいと願っています。
ちぎり絵はとかくご高齢の方の趣味と思われがちですが、和紙でいろいろなことができるのだと知ってほしい。私は教室などで習ったことがなく、自己流で好きなように制作してきました。和紙だけでなく、コルクシートや加工紙、パステルやエアブラシなど、何でも使います。私の作品を個展会場で見て、「こんなちぎり絵は初めて見た」「今までと和紙のイメージが変わった」と言われると、すごくうれしい。題材も、人物や風景、日常生活のワンシーン、ファンタジックなイメージ画など、これからも幅広く挑んでゆけたらと思っています。
昨秋は出身教会に招かれ、伝道行事としてのちぎり絵展を開催していただきました。教会の扉を大きく開いて一般の人をお招きするため、5日間、教会の一部をギャラリーとして使わせていただきました。原画展示の他に、お茶を飲めるスペースを作り、またトークショーも行いました。
コンサートは決まった時間帯ですが、絵画展は好きな時間に気軽に来て、絵を見た後もゆっくり教会で過ごせてもらえます。実際、いつもは教会の前を通るだけだった多くの人が、「扉が開いていたから入ってきたよ」と言って、お茶を飲んで信徒の方々とおしゃべりして帰られました。信徒の皆さんからも、教会が学園祭のような活気で、奉仕がとても楽しかったと言っていただけました。こういう働きをまたどこかの教会でさせていただけたらいいなと思っています。
埼玉伝統工芸会館での個展は、公共施設なのでキリスト教色はあまり出せなかったものの、御言葉入りの絵葉書や、信仰を持つまでの経緯を記した著書『アメジング・グレイス』を並べておきました。ふらりと絵を見に来た60代の男性が、その本を買って読んだことをきっかけに教会に来てくださったことは本当にうれしかったです。
神様は一番よい場所を用意してくださる
9年前、エンジニアだった夫が早期退職し、所属教会が設立した「NPO法人行田のぞみ園」の職員になったことから、私は、家計の必要もあって、高齢者施設でパートとして働くようになりました。週半分はパート、日曜は礼拝、日々の家事や老親の介護訪問と、本当に忙しい日々でしたが、気持ちを注ぎ込むように一つ一つ制作に取り組みました。心身ともに余裕は全くないのに、一種濃密な制作ができているように思います。
介護の仕事は、本当にやってよかったと思っています。人が年を取り、弱くなって、最終的には見送らざるを得ない仕事ですが、数年前から私の父が認知症になり、日々、認知機能が衰えていくのをある程度冷静に受け止めて向き合えるのも、この仕事をしてきたおかげだと思っています。
昨春、子どもが独立し、今は介護施設への出勤日も減らしていますが、職場の方々にも恵まれているので、もうしばらく続けてみようと思います。特に、お年寄りとご一緒に手芸などをする働きや、施設のディスプレイのデザインを手伝わせてもらう中で、とても豊かな刺激をいただいています。高齢者施設は、多くの方の人生の深い場所に触れることができる特別な場所です。神さまはいつも一番よい場所を用意してくださるものだ、と感謝しています。
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10月には、お茶の水おりがみ会館 ART GALLERY(東京都文京区)で「森住ゆき和紙ちぎり絵展」が開催される。詳しくはホームぺージで。