露のききょうさん(日本アドベント・キリスト教団忍ヶ丘キリスト教会会員)率いる「ゴスペル落語会 in 東京」が8日、日本バプテスト連盟常盤台バプテスト教会(東京都板橋区)で行われた。出演したのは、ききょうさんの他、その双子の妹で「おしゃべり賛美家」の菅原早樹さん(単立西宮北口聖書集会教師)、わかさぎ亭福助さん(日本同盟基督教団土浦めぐみ教会会員)、講談師の神田ナザレさん(日本基督教団代々木中部教会牧師)、福音亭ぱすたさん(新松戸福音自由教会牧師)の5人。
わかさぎ亭福助さんは、「心の貧しい者は幸いです」と題した落語を披露した。絶妙な夫婦の掛け合いから始まり、「江戸っ子」だという気の短い牧師が、妻から使いに出された夫の悩みを聞くという話。会場の笑いを誘いながらも、聖書の御言葉で締めくくる「落ち」は、さすがゴスペル落語といったところ。
次に登場したのは、講談師の神田ナザレさん。落語に比べ、講談に「落ち」はないが、「この続きはまた次回ということで」と締めるので、「長い聖書の話を語るには適しているのでは」とナザレさんはいう。
釈台を勢いよく張り扇で「パンパン」とたたき、話し出したテーマは「王国分裂」。
「イスラエル王国初代の王様。名前をサウルと申します。これがまあいい男だったそうでございまして、背がすらっと高い。顔は福山雅治に松坂桃李を足して2で割って、上から嵐の松潤をパラパラと振りかけたような、いわゆるイケメンでございます」(パンッ!)
聞きなれた聖書の話でも、歯切れのよい講談独特のリズムとナザレさんの表情に聴衆は引き込まれていった。高座の後、「イスラエルの話、何度も聞いているはずなのに、今日、やっと分かった気がした」と話す観客もいた。
福音亭ぱすたさんはまずマクラで、「この芸名は、牧師を意味する英語Pastorから付けたもので、決して食べ物ではございません」と笑わせてから噺(はなし)に入った。この日の演目は、イエス様が水をぶどう酒に変えた「カナでの婚礼」(ヨハネ2:1~12)。ぶどう酒がなくなって給仕が慌てふためく様子を面白おかしく演じ、聖書のシーンが立体的に見えてくるようだった。
この日のトリは露のききょうさん。父・露の五郎兵衛が演じた福音落語の唯一の後継者として、全国の教会などで高座を務める。さまざまな病を抱え、この日も両足に大けがを負い、大阪から東京までの移動も妹の早樹さんの手を借りながらたどり着いたという。つえを突きながら座布団に向かったが、正座をすることができず、腰掛けての高座となった。満身創痍(そうい)の体だが、それでも「呼ばれたところには、できるだけ行きたい」と話す。
落語会終了後、福音亭ぱすたさんは本紙のインタビューに次のように答えた。ちなみに、ぱすたさんは毎週日曜日、渕野弘司牧師として高座ならぬ講壇で礼拝説教を語っている。
「教会は西洋のものと思われがちですが、そこに落語という日本古来の伝統芸能でアプローチするのも面白いかなと思って福音落語を始めました。もともと学生時代、落語研究会に入っていて、幼い頃から落語は好きだったのです。落語は、その昔、お坊さんがお説法の前にちょっと笑い話をしたのが始まりです。ですから、福音落語を入り口に聖書を伝えるというのも理にかなっているんですよね。落語をきっかけに教会へ行くようになったなんて話を聞くと、やはり励みになります」
同じく北川正弥牧師として教会に仕える神田ナザレさんは、日本で聖書講談を行う数少ない演者の1人。「おそらく、日本国内を探しても2、3人しかいないのでは」という。講談の名門、神田一門の神田陽子師匠の社会人弟子として本場の講談を学んだ。聖書を基(もと)にした話はナザレさんのオリジナルで、講談にできる聖書の話を自ら選んでセリフを作る。作品が出来上がると師匠に見てもらい、場数を踏みながら自分のものにしていく。
「私は牧師なので、もちろん聖書の話を皆さんに伝えたいという思いは強いです。しかし、神田という名前をいただいているプレッシャーというか自負もあるのです。ですから、神様の名前を汚さないことはもちろん、その次には師匠の名も汚してはいけないと思っています」
ききょうさんによると、関西ではすでに「ゴスペル落語」が根付きつつあるが、関東はまだまだそれに追いついていないという。今回の東京での落語会は昨年に引き続き2回目で、「関東でも盛り上げていきたい」と意気込みを語った。