親子二代のクリスチャン落語家として活躍している露のききょうさん一家を取材しているとき、父・露の五郎兵衛さんの著作『五郎は生涯未完成―芸と病気とイエスさま』を読んで気になる記述に出会った。
「落語のネタにもキリスト教が出てくるものがある。先代小春団治(編集部注:初代・桂小春団治[1904~1974年])、あの大正時代から昭和にかけて、次々と新作落語を手掛けた先代のネタに『禁酒運動』というのがある。(中略)今では幻の作品である」
これは気になる・・・。というわけで早速、ききょうさんに聞いてみた。
「キリスト教を主題にした落語は他にも有名な噺(はなし)として『宗論』というのがあるんです。熱心な浄土真宗の門徒の旦那とキリスト教に改宗した息子が、親子で仏教とキリスト教の教義をめぐって口論になり、息子は牧師の口調をまねて聖書の一節を語り、賛美歌まで歌い出し大げんかになる・・・という物語です。もともとは日蓮宗と浄土真宗の信徒同士のいさかいだったのが改作されたといわれていて、現在でも6代目三遊亭円楽さんが得意ネタにされていますよ」
でも、この「禁酒運動」は長らく誰も演じていない「幻の落語」らしい!・・・と聞くと、どうしても詳しく知りたくなる。それから数日後、ききょうさんから「探してみたら『禁酒運動』の台本が見つかりましたよ!」とのメールを頂いた! というわけで、桂小春団治氏以来、何十年も演じられることがなくなった、幻のキリスト教をテーマにした落語「禁酒運動」をご紹介したい。
「禁酒運動」は、大正から昭和にかけて盛んだったキリスト教のプロテスタントの救世軍による運動をテーマにしている。登場するのは、街頭で禁酒を訴える救世士官(救世軍の牧師)と、それに従う徳三。そこに酒好きでいい感じに酔っぱらった徳三の伯父さんがやってきて、酒についての問答が始まる、というエピソードだ。「お酒というものはあらゆる方面で使用されるもので御座います」という枕とともにこの噺は始まる。
以下、台本から一部引用。
近頃は禁酒々々と世を挙げての叫びです。禁酒奨励曾であるとか又は救世軍で盛んに禁酒の宣伝を努めて居ります。二月の十一日は、禁酒宣伝デーであるそうで、夜分、人の出盛る頃を見計らいまして、盛り場を禁酒宣伝隊が十人余り隊伍を組んで、先頭には行燈(あんどん)の様なものを高く差揚げて、それには筆太く「雨は天から、涙は目から、酒はサタンの土壺から」と書いてあります。それに続いて行く人々は、走い襷(たすき)をはすに掛けて「時の声、禁酒運動」と赤地に白く染め抜きまして、手にはタンバリンケース、又はゴロスなどで、盛んに囃(はや)し立て、禁酒の唄を声高に唄いながらドンガドンガドン・・・
(賛美歌の調子で)
「酒呑むな、災は、酒がもとぞ、酒呑むな、
酒は人の、子等を罪に、誘い落し、
望みある、若き者を、取り亡ぼす、
悪魔なれば、近づけな、
酒呑むな、災は、酒がもとぞ、酒呑むな、
酒は人の、親と夫を取りて、飢に泣く、
母と子とを、後に残す、毒薬なり、手も触れな、
酒呑むな、災は、酒がもとぞ、酒呑むな」
さらには続いて、救世軍の士官(牧師)による禁酒の訴えが述べられる。
救世士官「諸君私達が今晩こうして、参りましたのは、此の大大阪市民の為、否、日本全国民のために、此の、二月十一日は禁酒宣伝として参ったのであります。訥弁ではありますが、私の話を一通りお聞きを願いたいのであります。諸君、恐るべきは酒、酒は世を害し人を毒する。酒のためには貧乏になる、病気になる、不道徳で不品行、精神病者、不良少年と、皆、原因(もと)は酒であります。犯罪である、自殺である、家庭の破壊、あらゆる物は皆酒の罪ではないか。酒は妻子の涙である。・・・」
時代背景、キリスト教と禁酒運動
禁酒運動は、主にキリスト教のプロテスタントの中から19世紀になって始まった運動だ。この背景には、飲酒が家庭内暴力、離婚、貧困を招き、社会問題化されていたこともあった。その結果、米国で1920年に禁酒法が施行され、アルコールの製造・販売・流通が禁じられるが、逆に違法アルコールが流通するようになり、闇酒で莫大な富を築いた暗黒街の帝王アル・カポネとFBIの取り締まりについては映画「アンタッチャブル」などでよく知られている。そして禁酒法は1933年に廃止された。
日本では1875(明治8)年に奥野昌綱らによって日本初の横浜禁酒会が組織され、その後日本キリスト教婦人矯風会が中心となり、広範囲な禁酒運動が始まり、明治には盛んになったという。
台本の中には、救世軍士官の「酒を造る米があれば、貧しい人にも米を食べさせられる」という説得に対して、酔漢が「米の事を考えて、酒が呑めるか。酒は米を潰さないでも科学的に出来るのや。農学博士の鈴木梅太郎氏が科学的に酒を造ったワイ」と答える会話がある。
これは東京帝国大学農学部教授で、ビタミンC(オリザニン)の発見者としても知られる鈴木梅太郎が、1922年に合成清酒を造ったことを指している。(この技術は現在の安価な日本酒にも使用されているそうだ)
また「酒は国民の生命なり、諸君、大いに、遣(や)るべし。既に軍縮全権大使、若槻禮次郎(わかつき・れいじろう)氏でも酒樽を積込んで持って行くや無いかい。ざまを見ろ、ハハハハ・・・」というセリフは、1930年のロンドン軍縮会議に元総理だった若槻礼次郎が代表として参加したときのエピソードのようだ。この落語は1927年に発表されたというが、その後、会話の中身を当時の時事風俗を取り入れながら変えていったことがうかがえて興味深い。
お酒を飲むことをどう考えるか、キリスト教の教派によってさまざまな考え方があるが、まあそれはおいて、大正、昭和期に人々にはまだ目新しかったキリスト教(救世軍)をどう見ていたか、時代の空気が感じられる意味でもとても貴重な落語だといえるのではないか。
プロの落語家の目からするとどうなのだろう。露のききょうさんは「このネタは、初代・桂小春団治さんの代表作といってもよいぐらい、売れたネタだそうですが、これは、いわゆるニンを選ぶ(話し手・演者を選ぶ)噺かな? と思います。父は、私がやったらどうかとチラッと思ったようですが、これは男臭く、また酔っ払いなどが得意な方に向いているネタなのだと思います。従って、私にはイマイチ向いていないかもしれません・・・。今は世間一般の人に『救世軍』と言ってもなかなか分かってもらえない時代。それがウケたというのは、やはり時代のおかげもあるのでしょうが、少しうらやましいですね。キリスト教的に見てもそれほど問題はないので、どなたかまたやってくださったらいいのに、と思いますね。できれば、普通の落語家さんが、普通の高座でやってくださると、値打ちがあるのではないかと思います。ただ、やはり、今の時代に合わせて少し手を入れないといけないかな?」と話してくれた。
もはや演じられることもないこの落語、いつか高座で復活するのだろうか? できれば露のききょうさんが行っている「ゴスペル落語会」で牧師先生が演じてみたら? そんな日が待ち遠しいと思ったのだった。