「縁側」という言葉は、今やすしのネタの1つに残っているだけの現実味のない言葉になってしまった。かつて僕らの子どもの頃には、たいていの家には縁側があった。猫が日なたぼっこする所だけではなく、「お1つどうぞ」など、ふかしたお芋だとか、煮たカボチャなどを主婦が持ち寄って、井戸端会議ならぬ縁側コミュニケーションの場であった。
主人たちも、夏などステテコ姿で近所の人と将棋を指したりした。子どもたちも、縁側から気安くその家の友達に声を掛け、上がり込んで遊べる場所であった。職人や御用聞きも仕事着のまま立ち寄れる場所でもあった。すべて合理化、安全のためという美名の下に、今日では縁側はなくなってしまった。
縁側と一緒に失われたものは、なにげない自然体のコミュニケーションである。人と人とが出会うのは、今日、公民館での集まりとか、イベントで学校や公共施設に出掛けるときくらいであろう。しかし、たいがい挨拶を交わす程度の会話で終わってしまう。
昔から床屋は、銭湯と並んで人と人との良いコミュニケーションの場といわれてきた。落語の中にも、「浮世床」「ぶしょう床」など床屋を扱ったものがある。
「崇徳院」という落語がある。一目ぼれで恋わずらいに陥った大店(おおだな)の若旦那を助けようと、店の者総出で、相手のお嬢さんが別れ際にふと漏らした「百人一首」の上の句、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」、もちろん下の句は「われても末に 逢はむとぞ思ふ」であるが、これを唯一の手掛かりに、恋の相手を探すことになる。
探し当てたときに約束された大報酬に発奮した店出入りの頭「かしら」が、何軒もの床屋をハシゴしてこの句を大声で怒鳴ることで、ついに相手方と出会うという話である。やはり床屋が情報伝達の最良の場として設定されている。
昔の床屋には、必ず囲碁や将棋の板が置いてあり、順番を待つ客同士これに興じるといったのんびりした景色があったようである。現代にそんな床屋はないが、町内のコミュニケーションの場であり得る条件は残っているように思う。
ところで、英語で「縁側」を何と言うかと調べると、それに当たる語がないことに気付く。だが、「縁側」が持つ意味から考えると、「マージン」という語に行き当たった。これは、日常は商行為における「利得」を意味する言葉であるが、元来は ① 本の余白、② 湖や海岸の余白、つまり岸の部分を意味する語である。
本はもし余白がないと読みづらいし、あればメモったり、書き込みに使える。湖なども摩周湖のように余白がないと神秘的ではあるが、取り付く島もなく、釣りやボート遊びもできない。
また、このマージンは、車のハンドルの「あそび」にも似て、有事の際にパニくらない、心の余裕にも通じるものがある気がする。実は、このたび始めた「床屋談義」も、こんな「縁側」的なものを考えて思いついた。「落語」と「聖書」という組み合わせは、一見アンバランスのようにも思われるかもしれないが、よく考えると、両方とも人間の根源的な話題を持っている気がする。
上質な知性やセンスというハシでこの肴(さかな)を食するなら、時にユーモアの香りや、時に刺激的なパンチラインを賞味する幸せもあるのではと思っている。「船頭」役としては、智に働き過ぎて角が立たぬよう、また、情にさおさして流されぬよう気を配り、春風に吹かれて、ゆったりと大川を下って行くようにまいりたく願っている。
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