「本業の方はって申しますってぇと、これが実にバタ臭い仕事をしておりやんす。バターと言ってもパティシエじゃござんせんが、あたくしどもの世界では落語好きが結構多うございます。その反動でござんしょうか、こちらの世界が楽しくってしょうがありやせん。え~、ちなみに、本業の職場は?って申しますと・・・」
「これが、なんと、キリスト教会の牧師なんです。いわば、西洋坊主でございます。牧師の落語家なんて取り合わせは、まるで回転寿司屋に流れているプリンアラモードみたいな感じでございましょうが、牧師は説教することが仕事ですので、落語の話術に興味を持つ者は結構多いのでございます。どうも、お後がよろしいようで」と口上を結ぶ素人落語家、濱の家真砂こと石川博詞牧師(ナザレン三軒茶屋教会)。
東京都世田谷区下北沢で生まれ育った。現在、57歳。1964年の東京オリンピック開会式時には、東京の空に描かれた五輪のマークを間近に見て、心躍らせた。各国のアスリートたちが東京の街を駆け巡ったマラソン競技は、日の丸を手に沿道に駆けつけた。
下北沢は「下町」ではないが、「江戸」の粋な文化が根付いていた街だった。「なんで、学校に行かなければいけないの?」と聞くと「そりゃあ、学校からこっちに来てくれねぇんだから、こっちから行くしかないだろう」と答え、「なんで、このパンにカビが生えるの?」と聞くと「そりゃあ、お前が早く食っちまわないからだろう」と答える大人がいた。「『冗談』が最高の娯楽で、それが人間関係を円滑にしていたのだと思います」と石川牧師は話す。
テレビのチャンネルをひねると、そこにいるのは、一流の噺(はなし)家たち。六代目三遊亭圓生、五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝をはじめ、今となってはもう聞くことのできない「名人」の落語を聞くと、不思議と石川牧師の世界は広がっていった。「ゲームなんてない時代だったけれど、ある意味、とてもぜいたくな時代でした」と話す。
時は、高度成長期。電気屋を営んでいた石川家では、「暮しの手帖」なども追い風になり、電化製品が飛ぶように売れた。「私の父親は、よく『八百屋さんのように洗濯機やテレビが売れていった』と言っていました。『暮しの手帖』などに掲載された商品があると、店にたくさんのお客さんが押し掛けてきたのを、今でも覚えています」と話す。
「私が子どもの頃、下北沢商店街の子どもたちは、ほとんどが日曜学校に行っていました。親から『日曜学校』は、文字通り日曜に行く学校のこと・・・と教えられていました。日曜の朝は、登校班のようにぞろぞろと列をなして教会に向かいました。そこに行くと友達がいて楽しかったですね。分級も学年ごとではなく、人数が多すぎるため、『1年1組』の子はこっち・・・『1年2組』の子はこっち・・・というふうに、クラスごとに分けて行っていました」と当時を振り返った。
小学校高学年になると、一時、教会に行かなくなったが、高校生になってまた教会に行くようになり、少し年上の青年たちとの交わりがとても刺激的だったという。高校2年生の時に下北沢ナザレン教会で受洗。「あの時の青年会があるから今の私があるといっても過言ではないほど、思い出に残っています。地方から出てきた大学生と政治や文学の話をするのは、少し大人になった気がして、楽しかったですね」と話す。
短大を経て、社会人生活を送るも、召しを受け、神学校へ。30年前、初めて赴任したのは、真冬にはマイナス30度にもなるという北海道の弟子屈(てしかが)という土地だった。弟子屈で5年間牧会したのち、2千キロ離れた長崎県諫早(いさはや)へ。諫早教会では、19年間牧会した。
3人の子どもも諫早で育った。子どもたちが小学生だったころには、PTA会長なども務め、積極的に地域と関わりを持っていた。ある日、小学校の先生から「子どもたちに古典芸能を教えたいが、落語も歌舞伎も見たことがない」と相談があった。昔から落語好きだった石川牧師は「それでは、真似事だけでも、子どもたちにやってみせましょうか」と話し、第1回目の高座が決定した。
高座名の「濱の家真砂」は、石川牧師が少年だったころのあだ名「石川五右衛門」にちなんで、五右衛門の辞世の句「石川や濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」から付けた。小学生たちに、石川牧師の落語は大変に好評で、そこから次から次へと依頼が入り、子ども会、高齢者施設など、多い時は毎週のように落語を披露していた。古典落語が中心だが、中には石川牧師が作った創作落語もあった。
PTAなどを中心に人脈を築き、2010年にはコミュニティFMの番組を持つほど、「ちょっと面白い牧師さん」は地元の人々に知れ渡るようになった。石川牧師の落語を聞き「教会にも行ってみたい」と話した女性が、後に受洗の恵みにあずかった喜びも経験した。
「落語は、私の趣味の1つ。牧師は、私の仕事。この2つは完全に分けています。良い意味での二面性を利用して、息抜きをしています・・・とはいえ、落語とキリスト者の共通点もあるのを感じています。私たちはイエス様にはなれない。しかし、少しでもイエス様に近づく者として、日々恵みを頂きながらクリスチャンとして生活をしています。理屈ではなく、ただ、イエス様に『倣う』のです。理屈で『習う』のとは違います。落語の世界も非常によく似ていると思うのは、その部分です。師匠の落語を理屈抜きに、ただ『倣う』のです。そうしているうちに、落語を自分のものにする。しかし、決して師匠になれるわけではないと思うのです」と石川牧師は話す。
2011年4月に、19年間牧会した諫早を離れ、現在の三軒茶屋教会に赴任した。東京に来てからは落語をする機会はなくなったと話すが、時折、国立演芸場に行っては、時を忘れて落語を楽しむのだという。
まるで落語を聞いているような、流れるような話しぶりの石川牧師になぞかけをお願いしてみると、見事な2つのなぞかけを披露してくれた。
「牧師の説教とかけまして、昔の子どもの遊びと解きます。その心は・・・」
「わっなげー(わっ長い / 輪投げ)」
「十字架とかけまして、道路の標識と解きます。その心は・・・」
「どちらもかいどう(会堂 / 街道)に掲げられています」