「共謀罪」の趣旨を含む「組織的犯罪処罰法改正案」(「テロ等準備罪」法案)が15日朝、成立した。
法案は、テロ組織を含む「組織的犯罪集団」を対象に277の犯罪に対し、資金調達などの準備行為を処罰するというもの。安倍晋三首相は、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックを前にテロ対策の一環として、国際組織犯罪防止(TOC)条約の締結にはこの法案の成立が必要だと主張している。これに対し野党各党が大きな反発を示し、国会内外で大きな議論となっている。
キリスト教関連団体からも強い反発を示す声明が次々と出された。日本聖公会東京教区(5月1日)、日本キリスト改革派教会(5月9日)、日本カトリック正義と平和協議会(5月24日)、「共謀罪」法案に反対し、廃案を求めるキリスト者有志(6月6日)などによって声明がホームページやSNSを通して公開され、署名を呼び掛ける団体もある。
クリスチャンの法学者で元国際基督教大学(ICU)教授の稲正樹(いな・まさき)氏は、同法案についての本紙のインタビューに次のように答えた。
共謀罪法案が数の力によって今国会で可決されようとしています。共謀罪法案が成立すれば、テロ等準備罪という名目のもとで、あらゆるコミュニケーション手段がチェックされ、一般人を対象にした警察による監視、調査、探索が幅広く行われるようになります。この法案が、国民のプライバシー権・表現の自由を抑圧し、活発で批判的な言論活動を萎縮させ、監視社会と警察国家を到来させる危険きわまりないものであるという批判に対して、政府はまともに答えず、時間が来たから採決をするという姿勢を崩そうとしません。民主主義国家とは正反対の、権威主義的で強権的な恐るべき国会運営が行われています。森友・加計事件においても国家権力を私物化して、公平公正であるべき行政をゆがめ、御用新聞を使って改憲を打ち出しながら国会ではまともに答弁もせず、国連人権理事会の特別報告者の正当な指摘に対しても言いがかりをつけて反論をする始末です。自由で多様な言論活動、市民の活発な権力監視活動は民主主義の基本条件です。これらを忌諱(きい)し、抑圧し、弾圧する政治を許してはなりません。神と人とに仕え、主であるイエスを信じるキリスト者は、自由と多様性をなくそうとする試みに、断固反対して立ち上がるときだと思います。1521年のルターの言葉が思い出されます。「我ここに立つ。他になしあたわず。神よ救いたまえ」
また、クリスチャンの地方議員からも懸念の声が上がっている。千葉県議会議員の山本友子議員は次のように話す。
日本人は「忖度(そんたく)」ができる国民。周りの空気を読んで、相手の気持ちを慮(おもんばか)るという性質を持っている。これは非常に曖昧な法案であり、誰が何をしたら法律を犯すことになるのかも分からないのに、為政者の恣意的な判断で「犯罪」が成立してしまうような状況は危険。誰かが突出した発言、行動をすることによって、自分だけが犯罪者になるだけでなく、その組織や団体みんなに迷惑をかけてしまうのではないかという「忖度」が働いた場合、発言を萎縮してしまう怖さもある。そこに政府がつけ込んできて、国民を黙らせるようなことがあれば、これは本当に怖いこと。キリスト者は特に他者を思いやることに長けている人が多いが、この法案成立は今後の教会にも大きく影響してくる。キリスト者は、祈りとともに声を出すことを忘れてはいけないのではないか。
キリスト者として何をすべきか、すべてを支配されている神の前に出て今一度祈り、考えたい。