東京都国分寺市の自宅を開放してカフェスタイルの宣教をしているスウェンソン・グレッグさんと妻の亜佐(あさ)さん。実はスウェンソンさんは日本生まれの日本育ち。宣教師の子どもなのだ。そして妻の亜佐さんとの出会いは米国。そんな2人に話を聞いた。
宣教師の子どもが、宣教師に
スウェンソンさんの両親は保守バプテスト宣教団の宣教師として1957年から34年間、日本で働いた。スウェンソンさん自身は秋田県で生まれ、父親の赴任先が変わるたびに仙台、福島県郡山市と引っ越したという。クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(CAJ)を卒業後、ミネソタ州のベテル大学に入学し、数学とコンピューターサイエンスを専攻した。
「私は生まれも育ちも日本なので、心は日本人、容姿は米国人、そんな葛藤がありました」。ベテル大学では、自分と同じような境遇で育ったミッショナリーキッズ(宣教師の子ども)と出会い、自分に与えられた使命について考える中で、もう一度日本へ戻りたいと考えたという。
来日して2年間、東京都立川市でエンジニアとして忙しい日々を過ごした。ベテル大学に留学中だったクリスチャンの亜佐さんとは遠距離で交際中だった。彼女は献身して神学を学んでいるところだった。
1995年に2人は結婚し、翌年、アーバナ学生宣教大会に参加した。全米、世界中からやって来たクリスチャンと共にメッセージを聞き、宣教への思いを祈った。
スウェンソンさんは、仕事をしながら神様に仕える「テントメーカー」としての思いはあったが、それまで宣教師になろうとは考えていなかった。引っ越し続きで苦労をしてきたので、「宣教師だけにはなりたくない」と思っていたのだ。しかし、40歳になったのを機に、宣教師になることを決心した2人は、コロラド州にある同宣教団体の本部にその旨を伝えた。2002年のことだ。
ところが、大きな挫折が待っていた。最終面接まで行き、結果は「少し待ってほしい」というものだった。これはスウェンソンさんを否定する意味ではなく、もう少し時間が必要だという神様のタイミングの問題だったが、大きなショックを受けたという。
しかも、その時、彼は失業もして、ダブルの挫折を経験してしまう。その頃、亜佐さんは3人目となる長女を妊娠していた。すでに長男、次男もいる中で、収入がなくなり、生活も大変だった。
そんな中でスウェンソンさんは、3年間の神学校生活を始めるが、亜佐さんは子育ての大変さ、経済的な不安もあって、「長いトンネルに入ったような思いもありました」と当時を振り返った。ドーナツ1つを買って家族分に切って食べたこともあったという。今はこの出来事も感謝となり、子どもたちとも「こんなことがあったね」と笑って話せるという。
やがて、多くの人が2人のビジョンを理解し、祈ってくれるようになった。経済的にも神様が必要を備えてくださり、献金も与えられ、彼らの家族の生活は支えられたのだ。
カフェスタイルでの日本宣教
2006年、宣教団体から正式に任命を受け、準備の期間を経て、09年10月に日本へ派遣。神奈川県大和市で2年弱のインターシップ。続いて1期目の宣教は、茅ケ崎の湘南グレースチャペル(恵泉キリスト教会)で協力宣教師を2年半務めた。
その後、米国に1年間戻って、2014年9月に現在の国分寺で生活を始めた。自宅の周囲は農家が多く、自然も豊か。近くには玉川上水が流れ、「とても落ち着く場所だ」とスウェンソンさんは語る。ここは武蔵野美術大学をはじめ、多くの大学や教育機関が集まっている場所で、学生がとても多い。
2人は、コミュニティーセンターのような、地域に開かれた気軽に集える場所作り、カフェスタイルの教会形成をビジョンに持っていた。そこで、一般の喫茶店から、クリスチャンが経営するカフェまで「カフェ巡り」をしたという。そして、玉川上水沿いにあるギャラリーを借り、まず英会話カフェをスタートしたが、ギャラリーが閉店したため、2015年11月には自宅を開放してカフェを始めた。
チラシを配り、SNSや口コミで人が集まり、多い月は15、6人が参加している。カフェでは、スウェンソンさんがテーマを決めて、参加者同士で英語でディスカッションをしながら楽しむ。メンバーは主婦、大学生、サラリーマンまで幅広い。男性も多いのが特徴だという。最後にスウェンソンさんが、テーマに絡めた聖書のメッセージを語り、ギターを弾きながらワーシップソングを歌う。クリスチャンの協力者も与えられた。
子どもも気軽に集まってくる
「クリスマスは社務所を借りてファミリーコンサートを開いたんです」
自宅の目の前にある公園の敷地内に神社があり、自治会などが利用する社務所が隣接する。ビジネスではなく、地域のためにという条件で許可が下りた。
「世界のクリスマス」というテーマで、前半はカフェスタイルでクリスマスのクラフトを楽しんでもらった。後半は、同教団のフィンランド人の宣教師が奏でるバイオリンと、スウェンソン夫妻の長女が弾くハープでコンサートを行った。この日は地元の人だけではなく、境内の掲示板に貼ったポスターを見て町外からも人が集まり、総勢70人近くで盛り上がったという。
亜佐さんは、「コンサートに来られた地元の方は感動してくださり、何か違った温かな雰囲気を感じたようです」と話す。参加した女性が、地域のために協力したいと申し出てくれ、月2回の放課後児童預かりもスタートした。
温かな2人の人柄に魅(ひ)かれて、子どもたちがよく訪ねてくるという。突然、インターホンが鳴り、「トイレ貸して」と入ってくる子や、話を聞いてほしいのか、ふらっと遊びにくる子もいるという。小学5年生の娘エレンさんは社交的な性格で、友達も多く、そのつながりも大きい。
学生と英会話、そして礼拝をスタート
また、武蔵野美術大学近くにある「カフェ・アネモネ」では、学生を対象にした英会話カフェも行っている。「たくさん英語を話せてうれしい」と好評だ。スウェンソンさんは、「すぐ近くに朝鮮大学校があって、その学生さんが来てくれたこともありました」。在日の朝鮮籍の学生にとっても、スウェンソンさんとの出会いや交流は心に大切な何かを刻んだに違いない。
米国での生活も長い2人に、日米の学生の人生観の違いについて尋ねた。「両国共、メディアや機械に若者は支配されていますね」とスウェンソンさん。亜佐さんは、「米国人の若者は、根本的に創造主(神様)がいることを前提に、どう神とつながっていけばよいのか葛藤しています。日本人はこの事実を知らないので、帰る場所がないのではないでしょうか」と心配する。これは命の大切さや家庭崩壊など、さまざまな問題とつながっているという。
この4月30日から、東京都国分寺市の自宅を開放して礼拝をスタートした。今後も第4日曜に行う予定だ。2人は今、恵泉キリスト教会小平チャペル(権ヨセフ牧師)を親教会として、保守バプテスト日本宣教団(東京東久留米市)、現在のワールドベンチャー(World Venture)に所属して働きをしている。「正式名称はこれからですが、とりあえず『オアシス北町』という愛称で、恵泉キリスト教会小平チャペル国分寺開拓教会としてようやくスタートできました」
スウェンソンさんと亜佐さんは以下の活動を行っている。
■ オアシス北町
■ グレース英会話カフェ
■ ミュージックガーテン