長い間、日本で宣教師として仕え、1月12日に88歳で亡くなったケニー・ジョセフ(Kenny Joseph)氏を偲(しの)ぶ会が同21日、米カリフォルニア州ラミラダにあるグレース福音自由教会で、感動と喜びの内に執り行われた。偲ぶ会には、友人や多くの日本人、家族ら数百人が参列した。
偲ぶ会は、同教会の長老であるエリック・トネス牧師の司式のもと、著名な音楽家らも招かれて盛大に執り行われ、友人や家族らが思い出を語ったり、聖書箇所を朗読したりするなどしてジョセフ氏を偲んだ。会場では、7年前に東京で行われたジョセフ氏のインタビューの中から6本のビデオクリップが紹介され、ジョセフ氏本人が生涯の思い出を語る場面も上映された。
ジョセフ氏は1928年10月30日、イリノイ州シカゴで生まれ、ムーディー聖書学院とボブ・ジョーンズ大学を卒業。米国人のオリンピック陸上選手で、戦争で捕虜となったルイス・ザンペリーニの伝記に啓発された。ザンペリーニの伝記は、ベストセラ-となったローラ・ヒレンブランド著『不屈の男』や、アンジェリーナ・ジョリー製作の同名の映画の中で後に紹介されている。
また、第2次世界大戦の終戦を迎え、ダグラス・マッカーサー将軍により日本に多くの宣教師が招聘(しょうへい)されたことに啓発され、日本を旅して荒廃した国の復興を霊的に助けた。
51年、22歳でフルタイムの宣教師として奉仕を開始し、将来の妻であるライラ・フィンサースさんと出会う。ライラさんもまた、宣教師として奉仕していた。2人は55年に結婚し、日本で長い年月を共にした後、2012年、米国に働きの場を移した。
偲ぶ会は、トネス牧師が「特別ゲスト」(映像の中のジョセフ氏のこと)を紹介するアナウンスで始まり、両親が初めて米国にやって来た時のことについてジョセフ氏が語るビデオクリップがまず紹介された。他のクリップには、東京にいたジョセフ氏が、この記事の筆者である私、ダン・ウディングの質問に答える場面が含まれていた。ジョセフ氏は、将来、故人として偲ばれるときは、「ビジョンを描き福音を宣(の)べ伝える」使命を全うした人物として人々の記憶に留められたい、と語っていた。
クリップの合間には、モータウンの伝説的歌手、ソンドラ・ウィリアムス(通称・ブリンキー・ウィリアムス)氏やビリー・グラハム伝道協会(BGEA)のトミー・クームズ氏、シンガーソングライターのボブ・ベネット氏らが姿を見せた。
ウィリアムス氏は、「一羽の雀」(原題:His Eye Is On The Sparrow)というゴスペルを歌い、米西海岸発祥の「ジーザス・ムーブメント」で生まれたバンド「ラブ・ソング」の創設者の1人でもあるクームズ氏は、「Don’t Be Afraid(Just Walk With Him)」を披露。ベネット氏は「I Know My Redeemer Lives」を歌った。
大柄な体格のベネット氏は、「最初で最後」になったというジョセフ氏との出会いについてのあるエピソードを語り、会場を笑わせた。ジョセフ氏の息子であるマーク・ジョセフ氏と知り合いだというベネット氏は、マーク氏と2人で同じジムに通って汗を流していると、ジョセフ氏に話した。すると、ジョセフ氏はベネット氏を見つめながら、「もし僕が君だったら、(ジムに通っても一向に痩せないので)お金を返してくれと(ジムに)頼むでしょうね」と言ったというのだ。
78年以来、ジョセフ氏が運営する「リープ・ミッション」の理事長を務めていたウィリアム・F・ターナー氏は、ジョセフ氏との出会いや、ジョセフ氏の日本に対する大きな貢献について話した。
次に私の番になった。私はジョセフ氏の伝記の著者として講壇に立ち、彼との思い出を語った。私は、彼の伝記を手掛けていた頃にジョセフ氏と度々楽しい交流があったこと、またテレビやラジオの番組で、ジョセフ氏や妻のライラさんに度々インタビューしたことについて語った。
「私は、はるばる日本まで行き、伝記の出版のために開催されたパーティーで伝記の紹介をしたこともあるのです」
「私が最後にテレビ番組でケニーを迎えたとき、ライラさんが話していたため、カメラがまだ彼を映していたことにケニーは気付いていませんでした。彼はそこに座ってポケットの中を見たり、(痒い所を)かき始めたり、周りを見回したりしていました。CMの間に、私は視聴者が彼の様子を全て見ていることを伝えなければなりませんでした。番組の残りの時間、彼は全力を尽くしてじっと座っていました」
「ケニー・ジョセフは素晴らしい人物でした。彼がいなくなったことを、とても寂しく思います」
遺族の中には、ジョセフ氏のめいのパム・ワトソンさんやおいのグレッグ・ペイン氏がいた。ペイン氏は聖書の朗読をし、ジョセフ氏の2人の息子は父親の思い出を語った。
「私の父がどのような人だったか、皆さんに知ってほしいと思います」と、息子の1人であるマーク氏は語った。「千年かかっても、私は父を理解し切れないかもしれません。父は興味深い人でした。変化に富んだ性格で、何をするか予測がつかず、言っていることと行動が結び付かない人でした。知性的であると同時に、非知性的でもありました。いろいろな本を読み、本も書きました。大学を出ていて神学修士でもありましたが、教養のある人たちを軽蔑していました。教養があると普通の人と触れ合うことができなくなったり、神など必要ないと思うようになったりする恐れがあると父は考えていたのです」
またマーク氏は、父のジョセフ氏のお気に入りの言葉を幾つか紹介した。その1つは、「最も偉大な能力は、人から頼られることである」というものだった。
「父の最後の言葉は日本語でした」とマーク氏。「父は私のめいに日本語で話していたのですが、めいは何を言っているのか分かりませんでした。それで私たちは、救急車を呼ぶことにしました。父の体調が悪いことに気付き、救急車を呼んだのです」と語った。
もう1人の息子であるボブ・ジョセフ氏は、こう語った。「今こうして父の生前を振り返り、奉仕と信仰の人生であったことを思うと、父が今、救い主と共にいることを喜ぶことができます。父は今、痛みや苦しみから解放されました。この世の煩わしさからも解放されました。そして父は今、先に天国に行った聖徒たちや主と天国にいるのです」
トネス牧師は最後に、ジョセフ氏の生涯に触発されてキリストを受け入れたいと思った人は、偲ぶ会の終了後に牧師の所に来てほしいと勧め、偲ぶ会を閉じた。
ジョセフ氏は、「ジャパン・ハーベスト」や「ジャパン・ジャーナル」など、日本にいる宣教師向けの出版物を編集し、日本で多くの働きをした。後に「リープ・ミッション」を立ち上げ、「リープ・マガジン」を発行し、10年間にわたり製作と編集を行った。また『Japan Missionary Language Handbook(宣教師向け日本語ハンドブック)』も執筆しており、最後の著書となった『Japan’s Christian Roots(日本のキリスト教の起源)』を死の間際に完成させた。
1976年以来、ジョセフ氏は東京でグレース・チャーチを牧会していた。2012年に米国に戻ってからも、最後まで多忙なスケジュールをこなし、最後の著書に取り組み、講演活動を行った。ジョセフ氏の生涯は、拙著『God’s Ambassadors in Japan(神の日本大使)』でも紹介されている。ジョセフ氏の家族には、妻のライラさん、妹のバーバラさん、4人の息子と15人の孫がいる。
ジョセフ氏は、カリフォルニア州ラミラダにあるオリーブ・ローン記念公園内の墓所に埋葬された。
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ダン・ウディング(Dan Wooding)
76歳(2017年現在)。作家、ニュースキャスター、ジャーナリスト。西アフリカ・ナイジェリア生まれ。両親は英国人宣教師のアルフレッド・ウディングとアニー・ウディング。当時、両親は、現在SIMとして知られているスーダン・インテリア・ミッションの宣教師であった。妻のノーマと共に南カリフォルニア在住。結婚歴53年。英国在住の2人の息子、アンドリューとピーターと6人の孫がいる。アシスト・ニュース・サービス(ANS)の創業者兼社長であり、『God’s Ambassadors in Japan』を含め約45冊の書籍の著者でもある。KWVEラジオネットワークの番組「フロント・ページ・ラジオ」を担当しているほか、ホーリー・スピリット放送ネットワークのテレビ番組「世界の窓」「ダン・ウディングのインサイド・ハリウッド」も担当している。