米最高齢の現役の説教者であった、ウェイマン・アフリカン・メソジスト監督(AME)教会(ミネソタ州ミネアポリス)のノア・スペンサー・スミス牧師が9月24日、107歳で亡くなった。
スミス牧師が生まれた1908年、米国は第27代大統領としてウィリアム・ハワード・タフト氏を迎えようとしていた。第36代大統領となったリンドン・B・ジョンソン氏もこの年に生まれた。それから22年後の1930年3月8日、タフト氏は死去した。さらに43年後の1973年1月22日、ジョンソン氏もまた死去した。しかし、スミス氏は生き続けた。スミス牧師が生きた107年の間には、実に18人の大統領が米国を治めた。
スミス牧師は、ベッドの横に集まった教会のメンバーたちと97歳の妻に、「お休みなさい」と最後に言い、二度と起きることはなかった。9月30日には、ウェイマンAME教会でスミス牧師の召天礼拝が行われた。
ウェイマンAME教会の役員の一人であるチャールズ・ホールマンさんは、「スミス牧師は決して107歳には見えませんでした」と語った。
ウェイマンAME教会のアルフォンス・レフ・シニア牧師は米CBSに、「スミス牧師は本当に筆舌しがたい伝説を残していきました」と語った。芸術家でまた音楽家でもあったスミス牧師は、多くの牧師たちの助言者であったが、49歳になるまで牧師になることは考えたことはなかった。
スミス牧師は2011年、米スタートリビューン紙のインタビューに応え、ミネアポリスにある聖ペテロAME教会で日曜学校の教師をしていた当時、その教会の牧師から牧会者としての道を勧められたと語っている。
「私は、『牧師の道へ行けとは、一体何を言いたいんですか? 私はもう49歳ですよ』と言いました。すると牧師は、『神は、私が若い時、私を(牧師の道へ)呼ばれた」と言って、『私はそれに従ったが、でも君は神の言うことを聞かなかった』と言ったのです」
スミス牧師は牧会者としての召命を受け入れ、聖ペテロAME教会で伝道者として仕え、1960年に按手(あんしゅ)を受けて牧師となった。その後、ダールスの聖マルコAME教会とミネアポリスの聖ジェイムズAME教会の2つの教会を牧会し、聖ジェイムズAME教会では80歳まで主任牧師を務めた。
しかし、スミス牧師はそれで引退することなく、ウェイマンAME教会の牧会メンバーの一人として、礼拝で定期的に説教を受け持ち、今年の夏までの約16年間を、ウェイマンAME教会で過ごした。
「スミス牧師はいつも明るく活気に満ちていました」とホールマンさん。「いつも知恵の言葉を語っていました。スミス牧師に会うたびに、私は彼と握手するようにしていました。私は90歳を過ぎて生きている人を個人的には知らなかったのです。ですから、少なくともスミス牧師の手に触れ、話すようにしたいと思っていました」
スミス牧師が最後に教会に出席したのは9月6日だった。この日、スミス牧師は転倒してしまいけがをしたが、礼拝で聖書朗読をするまでは病院に行かなかった。「気分が良くなかったにもかかわらず、スミス牧師はこの礼拝のために聖書を読むことを自発的に引き受けました。これは長く、スミス牧師に対する記憶として残るでしょう。スミス牧師は聖書朗読を断ることもできたからです。しかし、スミス牧師は聖書を語ることを選びました。それほどまでに、聖書に、牧師に、使命に打ち込んでいたからです」とホールマンさんは振り返る。
「スミス牧師はベストを出せる状態でないにもかかわらず、非常にしっかりと話し、弱っているようにも聞こえませんでした。そして教会から病院に向かいました」
しかし、転倒した後、スミス牧師の健康状態は悪化し、老人ホームに入所して間もなく亡くなった。「彼は平安のうちに亡くなりました。周りには多くの教会のメンバーがいました。彼は黒人霊歌を聴きたいと言ったので、私たちは歌い、そして聖書を読みました」
「率直に言って、私たちはまだ信じられない思いでいっぱいです。スミス牧師が日曜日に教会にいないのを見るのはつらいです。彼はいつもそこにいたからです。昨晩の聖書の勉強会にスミス牧師がいないのを見るのもつらかったです。彼はいつもいたからです。お分かりでしょうが、スミス牧師が107歳であるという事実にもかかわらず、私たちはいつも、彼が永遠に生きるだろうと思っていたのです」
「スミス牧師はいつも楽しく、常に人を喜ばせていました。いつも忍耐強く、この地にある時を感謝していました。彼は、それが当然のことだとは決して思っていませんでした」
ある教会の会議があったとき、スミス牧師夫妻を車で送る役割を担ったホールマンさんは、その時にスミス牧師をよく知るようになったという。ホールマンさんは、スミス牧師の几帳面な働きと、その生き様を称賛した。
「スミス牧師は毎日働いていました。誰も働いていないスミス牧師を見たことがありません。ある時、スミス牧師は私に、公の場に出るときは必ずスーツとネクタイを着用していると語りました。スミス牧師はどこに行くにも、きちんと装っていました。それはスミス牧師が誇りを持っていたということです。スミス牧師はその使命と召命を、正面から捉えていました」
「最も素晴らしい思い出は、私がスミス牧師と奥様を会議に車で連れていく役割を与えられたことです。ある会議から(長い道のりを)帰るとき、奥様は眠っていました。私は、スミス牧師も眠るだろうと思っていました。しかし、スミス牧師は眠らなかったのです。スミス牧師は運転中ずっと起きていて、その間話をしました。当時、スミス牧師は103歳でした」