親しい友人に招かれて、裏庭でのハンバーガー・パーティーに親子で行きました。食べ物が手渡された、ちょうどその時です。息子の言動に私は一瞬、唖然(あぜん)となり顔を赤らめ、どぎまぎして心臓が止まるかと思いました。母親なら誰でも、その場にいたら、きっと私のようにいたたまれない気持ちに襲われたでしょう。
まだ5歳にもならない私の息子が罪作りな事をしたのです。彼はハンバーガーを一目見るなり、パーティーの主催者である友人の顔をしかと見据えて、こんな言葉をぶつけました。
「うわぁ、こんなちっちゃなハンバーグに、なんておっきなバンズ(ハンバーガー用のパン)なんだ!」。その声といったら、そこに居合わせた人たちの誰にも聞こえるような、はっきりとした大きな声でした。母親の私はその時、穴があったら入りたい衝動に駆られました。もちろん、そんな穴などあるはずもありませんが。
食事が終わって、ふと気付くと、ハンバーガーの食べ残しが息子のお皿にまだありました。そこで、食べてしまうように促しました。ところが、彼はもう満腹と言わんばかりの仕草をしながら、ため息交じりに言いました。「もう、食べられないよ。思ったよりも、ずっとおっきいハンバーガーだったんだもん。お肉の方は無駄にしなくて、よかったでしょ」
この言葉が主催者の友人の耳に届いて、少しは慰められたとしても、彼女の気持ちはそう簡単に治まらなかったのではないかと思います。とにかく、親として大層恥ずかしい思いをさせられたのだけは事実です。
この出来事があって、ふと、こんなことを考えさせられました。神様から与えられたご用が、時として、真剣に取り組むほど重要でもなく、尊いものでもないように思われることがあります。実際、これが神様から与えられたとは認められずに、自分にはもう少しやりがいのある仕事が与えられてもいいはずだ、という気持ちにさせられることが。
大きな働きにはそれなりの価値があります。例えば、リーダーシップをとるような立場、公に仕える仕事、人の目につくような活動です。私たちはとにかく主に用いていただきたいと願い、どのようにお仕えしたらよいか、主への奉仕を考え求めます。そして、ともすれば、自分の「バンズ」は大きいと思い込んで、それにふさわしい大きな「ハンバーグ」を、と期待しがちです。けれども、神様はすでに与えた小さな働きをも成し遂げないでいる私たちに、もっと大きな働きを課すような無駄なことをなさるでしょうか。
私たちは主にお仕えするときに、自分の能力の可能性を過大評価してはいけません。だからといってまた、個々人に与えられた働きを過小評価する必要もないのです。神様のご計画においては、一人一人の働きはその大少を問わず、どれもみな、それぞれに大切で、価値あるものなのですから。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」(コロサイ3:23、24)
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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