息子のケントと彼の友達が庭でレスリングをしている様子を、私は見ていました。本気で殴ったり蹴ったりする格闘はあまりに乱暴で、私の髪の毛がさらに白くなる思いをしました。その数時間後には、あんなに勇ましく暴れていた6歳の少年ケントが、私の膝の上で頭を私の肩に気持ちよさそうに寄り添わせているのです。この甘えん坊さんが、さっきの腕白坊主ケントだとは、どうしても信じられません。
そして、「僕はうれしいな。お父さんとお母さんに愛されているから。だけどさ、そうでない友達もいるよ」と話し掛けてきました。「お母さんが愛しているのが、どうして分かるの?」と聞いてはみましたが、どのような返事が返ってくるか、私には予想がついていました。
ちょうどその日は、スーパーマーケットで「売り出し」があり、5ドル以上の買い物をする人は半額で買える特別な日でした。5ドル以下の買い物をする方が難しかったと思いますよ。私は、ミネソタTシャツと野球帽を堂々と半額で買いました。他の少年たちはともかく、息子はどうしても、その2つが欲しくてたまらなかったのです。今、そのTシャツを着て、その野球帽をかぶって、息子は私の膝の上に座っています。
「さあ、どうして分かるの? 言ってみて」「分かるよ。お母さんは僕を愛している。だって、雨の日には野球をやってはだめだ、いけません、と言ったからね。僕は野球を外でやりたかったけど」
私は一瞬、呆然としました。しかし、また、心を打たれもしました。それからしばらくは、 彼の言葉を噛み締めていました。息子がずっと欲しがっていた物、必要としていた物を彼に与えて、それで母親の愛を果たしたとは言えないことに気付かされました。むしろ、私が「いけません」と言った言葉で、私の愛が彼に通じたのです。
彼がやりたいと考えていたことが、実は良くないことなのだ、という親の思いがしっかりと伝わったのでしょう。息子から学んだこの経験は、天のお父様が私たちを気にかけてくださっているのと、何とよく似ていることでしょうか。私たちのために与えてくださる恵みだけでなく、私たちが良いと思えることにも、神様は「いいえ」と言った方が良いと思われて、門を閉ざされることがあります。そのような時にも、私たちは感謝してきたでしょうか。
ローマ人への手紙8章28節では、「神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と語っています。この「すべて」には、悲惨なハプニングや、悲しい状況も含まれているのです。
「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」(マタイ7:11)
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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