私と子どもたちは、日本で思ってもみない災難に見舞われました。それは1959年のこと、お風呂場で一酸化炭素中毒症にかかったのです。今日の私は、その事故の3カ月後、数週間にわたって再入院していた頃にあった1場面を思い出しています。
見舞いに立ち寄ってくださった牧師が、私にいろいろと気遣いの言葉を掛けてから、最後に、「何と言って励ましたらいいのか、言葉が見つかりませんが、まあ、ともかく、笑って、こらえてくださいよ」と言い終えて、病室を出て行かれました。
もしも、訪問を受ける前の私の気持ちが鬱々(うつうつ)としていたなら、牧師が帰られた後は、きっと一段と気が滅入ってしまったことでしょう。けれども実際は、幸いにも、その時の私の心の状態は、人からのどんな助言も必要としていませんでした。そのことで主に感謝したのを覚えています。
牧師であり、宣教師でもある彼が口にした言葉ほど、無意味で空しく響く言葉は私には思いつきません。神様はどんな類いの苦しみや試練をも耐え忍ぶべき災いとして、人の身に降りかかるのをお許しになるのでしょうか? 神様は私たちがどれほど耐えられるかを試そうと、このようなつらい思いをさせるのでしょうか?
いいえ、違います。ほんの一時でも、そんなことはありえません! 災難は単なる運命のいたずらではありません。また、事故に付随して起こった苦しみに歯を食いしばって耐える必要もないのです。この場合の試練は、どのくらい私たち自身の力で受け止められるかではなく、どれくらい神様にお任せして重荷を引き受けていただけるかなのです。
「笑って、じっとこらえる」のは、消極的で悲観的な態度です。また「共に苦しみを分かち合う」のも、周りの人たちに重荷を負わせることになりますね。第2コリント人への手紙の12章9節には、次のように記されています。
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」
弱さを誇る? そうです。キリストの力が私のうちに宿るためにです。自分への関心を得ようとして、痛みを訴えたり、苦しみや困難や悲しみなどの繰り言を得意になって大っぴらに話すのではありません。弱さを抱え、どのような病気にかかっていても、その時こそ、神様が働いてくださり、その御力が表れる絶好の機会になるのです。このように考えると、つらい日々も全く違って見えてきませんか。
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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