娘たちのクローゼットの中に、使い古した薄型トランクがあります。今ではそのトランクに、娘たちの宝物がぎっしり詰まっています。例えば、手足の取れたお人形。これはお医者さんごっこのかわいい看護婦さんにとって、願ってもない患者さんになります。パパの古くなったシャツ。これは包帯にするのに打ってつけ。お人形の洋服を作る布地としても使えます。
ところが、ある日、5歳の娘がうっかりトランクのふたをパタンと強く閉めたため、鍵がかかってしまいました。
すぐに、彼女は鍵を求めて、私のところにやって来ました。それでは、と整理ダンスの引き出しやクローゼットの棚を捜してみました。でも、鍵は見つかりませんでした。「見つかりそうにないわ」と娘に言い置いて、私は先ほどから取り掛かっていた仕事に戻ろうと、再びロッキングチェアに腰を落ち着けました。
しばらくの間、心地良い椅子にもたれて、外の景色を眺めていました。海岸近くを漁船が行ったり来たりしています。
「わかった。見つかるように、お祈りしようっと」。聞きとれないほどの小さな声で娘はそう言うと、今度は私の方を向いて、こう言い添えました。
「お祈りに、『御心ならば』を付ければいいのよね、ママ。お姉ちゃんが言っていたわ」。それから自信に溢れた様子で意気揚々と、自分の部屋に戻って行きました。
けれども、私が椅子に座り直したのも束の間、彼女がまた戻ってきたのです。
「ママ、そこに座っている場合じゃないでしょ。鍵が出てきますようにってお祈りしたけど、私たちが捜さなかったら、見つかるわけがないのよ」
私たち2人のやりとりはこのくらいにしておきます。もちろん、私は再度捜し回りました。今度は、整理ダンスの引き出しの中を念入りに見てみました。すると、ありました。見つかったのです。
子どもたちには、本当に驚かされることがしばしばですね。私たち大人には、ただ単にそうなるだろうと思えることも、子どもたちには100パーセント信じている純粋な信仰の証しになる場合がよくあります。5歳のパーミーでさえ、腰を据えて祈るということがどういう意味かを理解して、実践しています。
私たちの祈りは、時として、願い事を神様に投げ掛けるだけの祈りで、祈ったことに満足してしまいます。後はのんびりと何もせずに、願った事が神様に認めていただけるかどうか、座って様子を見ているだけということがありませんか。「御心ならば」という言葉を添えて祈っても、 口先だけで、必ずしも心から祈っているとは限らないかもしれません。
日々の祈りを見直してみましょう。主が私たちにしてほしいと思っていらっしゃることを、私たちは神様がしてくださると信じ、全てお任せしたままになっていませんか。神様は私たちに、立ち上がって鍵を捜すように、まずは行動することを望んでいらっしゃるのではないでしょうか。
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」(ヤコブ1:22)
ここで、「聞くだけで終わる者」ばかりでなく、「祈るだけで終わる者」も付け加えてよいのではないかと思います。
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
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