何年も前に京都にいたときのことを思い出しています。私は野外での集会を終えた後、止めてあるジープに乗り込みました。座席に座って外を見ていましたら、手渡されたヨハネの福音書の小冊子を、日本の人たちが興味深そうに受け取っていました。そのうちの1人は、その小さな赤い冊子を読むのに夢中で、ジープに真正面からぶつかり、向こう脛を打ってしまいました。
それでもなお、彼はジープをよけると別の方向に進みながら、鼻先を冊子に付けるようにして読みふけっていました。幸い、辺りに駐車している車といえば私たちのジープだけでしたから、また車にぶつかるような心配はなかったようです。
当時は読み物が乏しかったので、人々は活字なら何でも飛びついたものです。もっとも、この読書欲は、読む物が少なかったからという、ただそれだけの理由ではなく、日本人は一般に、学ぶ意欲、教養を身につけて、心を豊かにしたいという貪欲なまでに強い欲求があるように見受けられます。
私たちの国アメリカではどうでしょう。確かに本はたくさんあります。読者が大いに益となるような良書が、考えられないほどあるといえます。しかし、どういう訳か、この時代の趨勢(すうせい)として、要約本、短編集、新聞の短い記事、雑誌や定期刊行物などの方が、いわゆる書籍と呼べる本よりも好まれています。もちろん、それはそれで別に悪くはありませんが、そういった類の読み物はちょうどスナック菓子のようなもので、実質のあるしっかりした食事に代わるものではありません。
読書は大方が楽しみのためであり、現実逃避のためです。何かに失望したり、退屈していたり、孤独感に陥っているときに、面白い小説や赤裸々な自叙伝などを読むのに没頭することで、自分が他の誰かになったような気分を味わいたいのです。
本を読んでいれば、居心地の悪い現実から一時は離れられるでしょうが、読んだために、自分自身が根底から造り変えられるということはあり得ません。本はそこまで役に立ちはしないでしょう。教会の奥にあるテーブルから、日々のディボーション用の小冊子を手に取って、ある友人はこんなふうにコメントしました。
「この小冊子が日々の『糧』になるかしら。あえて言えば『パン屑』のようなものだわ。これを読んだだけで、命のパンである『聖書』を読んだ気になったのでは困りますよね」
身の回りに溢れんばかりにある軽い読み物やダイジェスト版を読む時間があったら、良書、とりわけ聖書を読みませんか。聖書を読むならば、より深い知恵が与えられ、より一層、心の豊かさが得られるでしょう。
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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