親として、いろいろな苦しみ、緊張はありますが、昨晩はこれ以上の苦しみはないと思うほどの痛みに晒(さら)されました。子どものピアノ発表会でのことです。
この発表会は、地域の催し物でした。一番最初の演奏者は息子になっていましたが、会の責任者は息子がそこに来ているのに気が付いていなかったようです。そこで、息子の代わりに他の演奏者の名前を呼んでしまいました。彼は、自分の席の下の方にこっそり潜り込み、ひと言も言いませんでした。このような状況では、9歳の腕白坊主なら誰でもそうしたでしょう。
気が付いた先生は彼を指名して、演奏するように呼び出しました。 さあ、演奏が始まりましたが、何回やってもうまくいきませんでした。彼はピアノに肘をつき、頭を抱えて目を閉じました。どのくらい時間がたったでしょうか。しばらく、彼はそこに座ったままでした。すると、突然、頭を上げ、元気にピアノの鍵盤に向かいました。今度は意気揚々と演奏して、大成功でした。
演奏が終わり、私は息子に聞きました。「壇上で何をしていたの? 泣いていたの、それとも祈っていたの?」
私の方を向いた彼の様子から、聞かなければよかったという後悔の念がよぎりました。「泣いても、祈ってもいなかったよ。ただ、考えていたんだ」と、息子は答えました。
私は息子を誇りに思いながら家路に着きました。そして「天は自ら助くる者を助く」という諺(ことわざ)が心に浮かんできました。この言葉は厳密に言えば、聖書に書かれている言葉ではないかもしれません。しかし、聖書では「まず最初の一歩として行動をとるように」と教えています。
聖書は「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、・・・そのようなことに心を留めなさい」(ピリピ4:8)とも語っています。
よく考えてみると、クリスチャンは、まず一歩を踏み出すという実践を必ずしも、いつもしているとは思えません。泣いたり、お祈りするのにかなりの時間を費やしていますが、それはそれで意味があります。しばし考える時間を持つことで、祈りが行動へと導かれるときがあるからです。
何十年も何十年も、涙ながらに祈り続けてきて、それでも実行に移す勇気が出てこないでいるかもしれません。そのような時も、どのような時でも、主は必ず御心を成してくださいます。ですから、私たちは私たちで、よく考えた後に一歩を踏み出し、最善を尽くすべきです。
「恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリピ2:12b、13)
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
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