罪人の友主イエス・キリスト教会(通称:罪友教会、埼玉県川口市)が重荷を負って取り組んでいる刑務所伝道。その原点とも言うべき活動の1つが「文通伝道」だ。全国の刑務所、拘置所などから罪友教会に届く手紙の数は1カ月で約40通。進藤龍也牧師はそうした手紙すべてに目を通し、返事を書いている。何度も返事を求めて手紙を送ってくる受刑者もいれば、1回きりの手紙もある。その一通一通が伝道のチャンスだと進藤牧師はいう。
今回、文通伝道の働きを少し掘り下げて取材してみると、それらの肉筆で書かれた手紙からは、塀の中からの声が聞こえてくるようだった。「寂しい」「助けて」「今度こそ、まともな人生を」「悔いても悔いても悔やみきれない」・・・
一方で、彼らが犯した罪を考える時、「自己責任ではないか。何を今さら言っているのだ」という側面もある。刑の軽重にかかわらず、法律に違反し、司法の場で裁かれた後に今の場所にたどり着いたことは紛れもない事実。しかし、進藤牧師のもとに手紙を送ってくる者の多くは自分の罪を認め、特に短期受刑者は「出所後、二度とつまずかないように」とアドバイスを求めてくるものがほとんどだ。
進藤牧師は言う。「出所後はマイナスからのスタート。ここが踏ん張り時。刑務所の中にいる時は、何とでも言える。しかし、社会に放り出されたとたん、『前科者』という肩書がついて回る。刑務所の中から『出所したら教会に行きたい』という人たちはたくさんいるけど、実際、罪友教会に来る人はそう多くはない」
出所後、家族からは縁を切られ、帰る場所もなく、所持金もわずかという受刑者は多い。就職面接に行っても、懲役を受けていた数年間をどう説明するか。また、説明したところで、理解して受け入れてくれる職場は少ない。ヤクザなどの組織にいた者にとっては、元の場所に戻り、昔の仲間に連絡をして薬の売人などをやれば、その日から日銭を稼ぐことができる。
何度も受刑している者の中には、「もう元の道には戻らない」「今度こそ、まともな人生を歩もう」と復帰の道を模索する者がいることは想像にかたくない。それでも、1度受刑した者の再犯率は依然として高く、社会に復帰しても、多くの者が再び塀の中へと戻ってしまうという現実がある。
一方で、無期受刑者には、被害者への償いの気持ちはあるものの、どのように先の見えない塀の中での人生を送ればよいのかといった感情も手紙の中から読み取ることができる。
「私のところに続けて手紙をくれる男性の1人で、『聖書を読み始めた』と書いてきた人がいる。彼の罪状はよく分からないが、無期懲役囚であるようだ。昨年送ってきた手紙には、こう書いてあった。『過去の自分の言動を思い起こすと、恥ずかしさと情けなさでいっぱいになる。先生が言うように、人生はやり直せるのかもしれない。しかし、無期刑の者は獄中死する者がほとんど。どうやって将来を考えたらよいのか。もし私の命と引き換えに、どこかにいる病気の子どもの命が救えるなら、僕は喜んでそうしたい。その方がよっぽど意味があるのではないか』。彼はそういう中で聖書を読むことによって、苦しみと恐怖から解放されたいと願っている。彼にとっての恐怖とは『自分の過去、罪と向き合うことだ』と手紙にあった」
彼は、刑務で得た少ないお金の中から、「少しですがお使いください」と書き添え、80円切手を10枚同封してきたこともあった。
また、別の無期刑囚の1人は、「高校を卒業していないので、せめて高卒の資格を取りたい」と、獄中から高等学校卒業程度認定試験を受け、合格したという。彼の手紙には、鉛筆1本で描いたと思われる見事な絵画も同封してあった。
中には、進藤牧師のヤクザ時代の友人と思われる受刑者からの手紙もあるという。「まさか、あの野村(進藤牧師の旧姓)が牧師になっているとは・・・。すっかり有名人になって活躍しているのを見てうれしい」という激励のメッセージも書かれていた。
進藤牧師は言う。「悪いことをしたやつが刑務所に入って、法律に従って罪を償うのは当たり前。自分が悪いのだから。しかし聖書には、『わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から』(エゼキエル33:11)とある。彼らに手紙を通して『立ち帰れ、立ち帰れ』と訴え続けていきたい」