「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。・・・私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23篇1~6節)
2月は日数が少ないですが、1日1日を大切に価値あるものとして、丁寧にしっかり歩んでまいりましょう。私たちの人生は、良いことばかりではなく、お金や子育て、介護、家族や職場での人間関係、病など困難なことがやってきます。日本には「困ったときの神頼み」という言葉がありますが、命を与えてくださった真の神を土台とした信仰を心の軸にして、それに向き合うとき、たとえ私たちは弱くても、強いお方が共にいてくださるから感謝しましょう。
詩篇の23篇は、今から3千年前に書かれましたが、人々によく知られている有名な箇所です。当時、卑しい職業であった羊飼いからイスラエルの王となったダビデの、神への純粋な感謝と賛美と祈りが溢れています。羊を守るために命を懸け、王となって勝ち目のない戦いや国家存亡の危機に何度遭遇しても、彼は神の恵みを忘れませんでした。今も私たちの心に響いてくるこの詩篇を味わいましょう。
1. 神は日々の必要を全て満たしてくださる
ダビデは羊飼いでしたが、ここでは「主が私の羊飼い」と神を賛美します。私たちは、時に自分の意思や判断だけで自分の人生を生きようとしますが、「上り坂」「下り坂」は越えられても、人間の弱さが現れる「まさか」が怖いのです。しかし私たちは、羊飼いである神に導かれ、命を与えられ、生かされ、守られ、愛されているから、いつも大丈夫です。神が、人生の導き手として共にいてくださることを感謝しましょう。
2. 神は困難な時に共にいて助けてくださる
羊飼いは、群れから迷い出た1匹の羊でさえ危険を冒して探しに行きます。羊飼いであったダビデは、自分を羊に、神を羊飼いに例えました(4節)。迷い出た私たちが絶望の谷を歩くことがあっても、神は正しい道へ立ち戻らせるむちと、行くべき道を切り開く杖で導いてくださる。また、王となって四面楚歌(そか)の戦場で戦うときにも、祝宴をもうけ、励ましてくださった(5節)。私たちが、神への信仰の目を離さなければ、人生の試練や危機、死の影の谷でさえ歩き抜いて、そこから脱出することができるのです。
3. 常に神が共にいて恵みに溢れている
私たちは、必ず地上での人生の最後の日が来ます。限りある人生だからこそ尊いのです。大切にしないとすぐに失われるものだから価値があるのです。神は、そんな私たちの人生に思い切り恵みを注いでくださいます。そして、私たちの日常生活の中で、神が共におられることを体験すれば、聖書が語るように、私たちは弱い時にこそ強いことが分かります。ダビデは、羊飼いの時も、王になってからも、何度も今日が最後だと思いつつ戦い続けました。しかし、最後には神を賛美するのです(6節)。
さあ、2月も神の力強い御業を体験して、平凡な日常においても、また、たとえピンチの時も、神と共に歩ませていただきましょう。
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