「・・・恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。・・・私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます」(ローマ人への手紙6章1~8節)
日本人はグレーのまま中途半端にしておくのが得意な民族ですが、神様の前に立つときには自分の居場所を明確にしたいと思います。今日の聖書の箇所はまさにそうです。私たちはイエス・キリストを通して神の御心につながる生き方をしたいと思います。
1. 主の死により罪から断ち切られている
例えば、仕事の中で、皆がやっている習慣のようなことでも、時には法律に抵触するかどうかギリギリのことに直面することがあるでしょう。そんな罪や穢(けが)れに取り囲まれた私たちの生活ですが、その中で私たちの心が鈍感になってしまい、クリスチャンであるにもかかわらず、以前と同じように罪を犯し続けないように気を付けましょう。
イエスをまだ信じておらず、神の愛に目覚めていなかった古い私たちは、世の人々と一緒になってバレなければ良い、ごまかせれば良い、捕まらなければ良いと、悪賢く罪を犯してきたでしょう。しかし、イエスを信じ洗礼を受けた私たちは、罪を洗い清められたのです。罪人であった古い自分とは縁を断ち切ったのです。
2. 神につながった新しい「人」として生きる
同じ「人」としての命に見えるかもしれませんが、私たちは霊的に新しい「人」としてキリストに結びついて生きます。イエスが十字架にかけられ、死なれた出来事は、「復活」に必ず結びついています。キリストと共に死んだ私たちですから、キリストと共に新しく生きる者となりましょう。今までとは違う新しい自分の物語が展開していくことを期待しましょう。
3. 新しい者としての生き方をする
新しい者には、新しい考え方や生活習慣、つまり新しい生き方が伴います。“Devine Connection”とは、心のどこかでひっそりとつながっていれば良いとか、人に理解されなくても魂の深いところで神に結びついていればそれで良いというのではなくて、新しいキリストの命に結びつくときに私たちも新しくされ、新しい歩みをさせていただけるのですから、日々の実生活の中にも新しさを期待し、クリスチャンとしての生き方を実践しましょう。
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