「東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。・・・東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。・・・そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」(マタイの福音書2章1~11節)
「マリヤ」「ヨセフ」「羊飼い」と学び、今回は4回目「博士たち」を取り上げて、クリスマスを味わいたいと思います。
イエスがお生まれになったときに遠い東の国で、全く別の民族の間でイエスの誕生を知った人々がいました。彼ら(天文学の専門家)は夜空を見上げ、「これは救い主誕生の星だ!」と見抜き、星の光を頼りにイエスと出会うことができました。この出来事を通し「クリスマス」について3つの要点を学びましょう。
1. イエスは全人類の救い主
博士たちは「ユダヤ人の王」と語りました。でもそもそも彼らはユダヤ人ではなく、外国の異民族でした。その彼らがイエスを礼拝したのです。2千年たった今も世界中でクリスマスにイエスの誕生をお祝いするのは、イエスが全ての人の救い主だからです。
ありとあらゆる国の人々に対して救い主が現れてくださったのです。イエスによる以外、全ての人を救う道は存在しないのです。イエスだけが人々の罪汚れを取り除くことができるのです。この事実をしっかり心に刻み込みましょう。
2. 探し出すべき価値のある救い主
東方の博士たちには、道中さまざまな困難があったでしょう。星の光も、多くの人にとっては他の星とさして変わらず見えたことでしょう。しかし、博士たちはイエスを見つけたのです。
救い主は、どんな困難があっても時間がかかっても、探すべき価値のあるお方です。今日でも、イエスをすぐに信じる人、長い期間を要する人、各人各様です。でもイエスは、探し出すことのできる救い主であり、どんな犠牲を払ってでも探す価値のあるお方なのです。
イエスを探し出すことは、人生で最も大切な事柄です。世の中のクリスマスが賑やかで、イエスを見いだしにくい状況かもしれません。でもどんなに私たちの声が小さく思えようとも、あるいは満点の星空の中でちょっと違う光り方をして見えるだけかもしれなくても、「王が生まれているなら殺してしまえ」とヘロデが言ったように人々の敵意や憎しみがあるようなときでも、必ず、イエスと誰もが出会えることを忘れてはいけません。
3. イエスは主の主
東方の博士たちはイエスを礼拝し、黄金、乳香、没薬を喜んでささげました。黄金は、イエスが王の王、主の主であると認めること。乳香は、王侯貴族しか手に入れられないもので、神に祈るときに焚くものでしたから、イエスが私たちの祈りをささげるのにふさわしい神であることが示されます。没薬も亡くなった高貴な人に塗る高価なものでした。それは自らの死を通して救いを成し遂げる「主の主」であることを預言するものでした。
彼らは、当時の最善の物をささげました。それは、私たちが最善のものをささげて礼拝する価値のある神がそこにおられることを表します。
神は、不可能を可能にする神であり、神の御心が私たちの人生の中に働いていることを認めましょう。私たちの人生に確実に関わり、必ず見いだし、必ず信じることができる救い主が、事実としてそこにおられるのです。主との結び付きをしっかりと持ち、本物の救い主イエスと出会えた恵みに感謝しましょう。
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