東日本大震災の大津波によって大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。そこに種苗店「佐藤たね屋」がある。店主の佐藤貞一さんは、自宅兼店舗を津波によって流された跡地に自力でプレハブを建て、震災半年後には営業を再開した。「息の跡」は、そんな佐藤さんの姿を追ったドキュメンタリー映画だ。映像作家・小森はるかの劇場長編デビュー作となる。
小森監督は、被災地へボランティアとして入ったことがきっかけで東京から東北へ通うようになり、震災の翌年、陸前高田の隣町に引っ越した。そして、そば屋で働きながら、町の復興に携わる人たちの姿を撮影し続け、佐藤さんとは地元の人の紹介で知り合ったという。
日々変わりゆく町の風景と、そこで出会った人々。以前あったものと、今後なくなってゆくもの。記憶がほのかに感じられるもの。その痕跡と温もりをカメラは追っていく。「息の跡」は、見せるためではなく、記憶するすために作られた映画だ。誰かに受け渡していくために。
2013年1月から記録し始め、映画としてまとめあげられた本作は、ナレーションも音楽もなく、佐藤さんについても、何歳で、どういう家族構成なのか、映画の中では説明されない。途中に妻帯者であることが小森監督との会話の中で分かるくらいだ。映画では、小森監督がその場で実際に見たものと聞いたことだけが淡々と映し出されていく。
映画を見ていくうちに、佐藤さんがどういう人物なのか、徐々に明らかになっていく。佐藤さんは仕事の傍ら、英語や中国語などを用いて自らの体験をつづっていく。津波を受けた場所で、毎日苗を育て、種を売り、営業を続け、それと同時に「あの日」の出来事を繰り返し考察し、英語で記述し、朗読する。あえて英語や中国語で震災の記録を残すのは、「日本語だとあまりにも悲しみが大きくなる」からだという。佐藤さんは、強靭(きょうじん)な意志をもって外国語で震災の出来事を記録し続けているのだ。
佐藤さんが書き残したいのは「事実」。この震災が歴史となったときにも、防災のために受け継がれていく事実だ。佐藤さんは、この町に残った者の役割として、この膨大な作業を自分に課していることが、映像から痛いほど伝わってくる。佐藤さんと小森監督は「記録して誰かに伝えること」を使命としているように感じる。佐藤さんはたね屋として、小森監督は映画監督として、それぞれの賜物を使って懸命にその使命を果たそうとしているのだ。
小森監督は「現代思想」(1月号、青土社)の中で次のように書いている。「震災による被害も、人々の抱えた悲しみも、佐藤さんはたね屋の目線で見ることに徹底していた。わたしは、英語で震災の手記を書く人ではなく、『たね屋』として撮りたいと思った」。小森監督もまた、この映画で、「たね屋の佐藤さん」に徹底して目を向け、佐藤さんの営みを粘り強く撮り続けた。同作品が見る者の心を捉えて離さないのは、小森監督の真摯(しんし)な思いと、時間をかけて築き上げた2人の信頼関係が映像から感じられるからだ。
映画は、店舗が移転する日までの風景を淡々と記録に留める。しかし、最後に1度だけ小森監督は自分の思いを映像に込める(そのシーンはぜひ実際にご覧になっていただきたい)。この土地でカメラを向けた人たちと同じ時間を共に生きてきたからこそ願わずにいられない未来への希望の思いを。
2017年2月18日(土)より東京・ポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開。
公式ホームページ:http://ikinoato.com/
予告編:http://ikinoato.com/trailer/