11日、カイロのアッバーセーヤ地区のコプト正教会総主教座に隣接する聖ペテロ・聖パウロ教会で爆発が発生し、少なくとも26人が死亡、49人が負傷した。エジプトにおいて教会で礼拝するコプト正教徒を無差別に狙った攻撃が発生したのは、2011年1月1日のアレクサンドリア市の二聖人教会の事件以来で、その際、教会で新年を祝った23人が自爆テロの犠牲になった。
エジプト政府の発表によると、今回の聖ペテロ・聖パウロ教会の事件は、武器の不法所持で逮捕歴のあるマフムード・シャフィークという名のエジプト人の若者による自爆テロであった。同教会の関係者の話によると、実行犯は前日の夜に「自分はムスリムだが、キリスト教のことを知りたい」と言って同教会に入ろうとしたが、教会は既に閉まっていたので、翌日の朝10時ごろまた来るように言ったところ、翌日に事件が発生したとのことである。
事件から2日後の13日には、過激派組織「イスラム国」(IS)が傘下のアマク通信に犯行声明を発表した。ISは、その中で死傷者を「十字軍」と呼び、さらにこれは「エジプトおよび他のあらゆる地域の不信仰者および背教者に、われわれの多神崇拝に対する戦いが継続中であることを知らしめるため」の攻撃であったとしている。「十字軍」については前回の記事で述べた通りであるが、「多神崇拝」については、キリスト教の三位一体の概念がイスラムの観点からすると多神崇拝と捉えられるという教義論争に由来する文言であると考えられる。
今回の自爆テロを受けて、エジプトのシーシー大統領は、3日間の国喪を宣言し、教会での葬儀の後にカイロの無名戦士の墓で軍葬を行うなど、犠牲者に「テロとの戦い」で殉職した軍人・警察官と同等の扱いをした。一方で、コプト正教徒の間では、エジプト政府が治安対策と警備を怠ったために礼拝中の教会を狙った自爆攻撃が発生したとの批判が起こっている。
それでは、教会の警備体制とはどのようなものだったのだろうか。今回は、聖ペテロ・聖パウロ教会および総主教座の警備体制と今後のテロ対策の行方を検討してみたい。
聖ペテロ・聖パウロ教会とその警備体制
今回攻撃の対象となった聖ペテロ・聖パウロ教会は、ブトロス・ガーリー首相(国連事務総長を務めたブトロス・ガーリーの祖父に当たる人物)が1910年に暗殺された後、1912年に遺族が故人の記憶を残すためにガーリー首相廟の上に建てた教会である。今年2月に亡くなった元国連事務総長のブトロス・ガーリーも、この教会の下のガーリー一族の墓に埋葬されている。教会の敷地内には、ガーリー首相の息子の1人のミッリト・ブトロス・ガーリーが1934年に設立した学術団体であるコプト考古学協会が居を構える。
この聖ペテロ・聖パウロ教会は、総主教座のすぐ隣にあるため、その一部と考えられがちであるが、上述の通りガーリー家と関係の深い教会であり、総主教座とは別の教会である。また、総主教座とは敷地を共有しておらず入り口も別個に存在する。
この聖ペテロ・聖パウロ教会には、他の主要な教会と同様、武装した警察官が駐留し護衛に当たっているが、駐留所は入り口から少し離れていて、教会そのものよりは教会の前の大通りの警護をしているような状態にある。また、一般に、教会の入り口には門番あるいは守衛がいて、教会への訪問者を監視しているが、この教会にはいずれも配置されていなかった。このように、総主教座に隣接しているにもかかわらず警備が手薄だったことが、この教会が今回自爆テロの標的にされた主な理由であると思われる。
総主教座とその警備体制
総主教座がカイロのアズバキーヤ地区から聖ペテロ・聖パウロ教会の隣の敷地に移転してきたのは1965年のことであった。現在の総主教座には、聖マルコ大聖堂をはじめとして、聖マルコの聖遺物を収めた廟、聖人ルワイス(14世紀後半のカイロに生きた聖人)の廟、総主教らの居室や執務室、総主教座の事務を担う総主教庁、印刷所、コプト学研究所、コプト文化センターなどが存在し、まさにコプト正教会の中枢である。
そのため、治安の悪化が始まった2011年のエジプト政変以前から総主教座の警備は厳しく、入り口には武装した警察官が駐留し、それに加えてコプト正教会の守衛が複数常駐している。また、総主教座は敷地全体が高さ5メートルほどの壁で囲まれている。
しかし、武装した警察官が配置され、高い壁が設置されているにもかかわらず、2013年4月には総主教座で衝突が発生した。この時総主教座では、その数日前にカイロ郊外で発生した宗派対立事件により死亡した4人のコプト正教徒の葬儀が行われていた。双方に怒りがくすぶる中、教会から出てきた大勢の葬儀参列者に対してムスリムの近隣住民が石やガラス瓶を投げ始め、それを契機に両者の間に衝突が発生した。
事態を収拾するために治安警察が現場に到着したが、治安警察は「コプト側が暴力行為を開始した」として総主教座の外から中に向けて大量の催涙弾を発射した。総主教座は怒れる近隣住民と治安警察に包囲され、中にいた数百人が総主教座に取り残されたまま、衝突は翌日の朝まで続いた。この事件で、最終的に2人が死亡、90人近くが負傷した。
この衝突事件の衝撃は、“教会、特に総主教座はムスリムの影響力が及ばない不可侵の場所とする”という了解が破られたことであった。エジプト政府はコプト共同体内部の事柄については教会側に自治を認めており、警備に関しても、駐留している警察官は教会の建物を外から警護するのみで、訪問者の身元確認をして入場の可否の判断をするのは教会側が配置した守衛の役割となっている。その中で、催涙弾とはいえ、教会を守るはずの治安当局が総主教座に向けて発砲したことは大変な衝撃をもって受け止められた。
この衝突事件の後、総主教座の正門は大幅な改修工事を経て、監視カメラと金属探知機が完備されるとともに、守衛による訪問者の身元確認が徹底されるなど、警備が厳格化された。また、警察の駐留所が増設されて人員も増え、さらには装甲車も配備されるなど、警察による警備体制も強化された。
今後のテロ対策
コプト正教会は、今後1月1日の新年、1月7日の聖誕祭を祝う予定であるが、こうした祭礼が再びテロ攻撃の対象となる可能性は十分あり、予断を許さない。上述のように、聖ペテロ・聖パウロ教会の警備が手薄だったことは確かであり、今後は治安当局およびコプト正教会は警備の強化に努めるであろう。そのためには、今後警察とコプト正教会の守衛の間の連携体制および管轄範囲の見直しが必要になる可能性もあるが、教会の自治権の問題や警察と教会の微妙な関係があるため、容易ではなさそうである。
警備体制の強化は、テロ行為の封じ込めに一定の効果をもたらすであろうし、短期的には必要な措置であるが、根本的にはテロを生む土壌をなくすことが重要である。「十字軍」イデオロギーがリアリティーを持って受け止められ、それに共鳴する者が出る環境がある限り、今後もコプト正教会がイスラム主義武装勢力の標的になる可能性は高い。
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三代川寛子(みよかわ・ひろこ)
上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻より、2016年に博士号を取得。専門は、19世紀末から20世紀前半のエジプトにおけるコプト・キリスト教徒の文化ナショナリズム運動。現在、上智大学アジア文化研究所客員所員、オックスフォード大学学際的地域研究学院客員研究員。